

天正十八年(皇紀2230),高橋兵部丞吉次、石清水八幡宮の分霊をを迎え、勧請した神社といはれ天明四年(嘉)多摩川共水により社地流失し、現地に遷座鎮祭したと鳥ふ
◆是政の碑

是政(これまさ)は、現在の是政一・二・三丁目の一部(競馬場東側辺り、府中街道 ・八幡神社 南側道路沿い)に集落の中心があった集落です。
古く、横山村と ばれていたと伝えらています。幕末の地誌「新編武蔵風土記稿 」には「民家百二十七軒」とあります。
地名の起こりは、井田是政 いう人名によるといわれています。地名に個人名がついているのは、中世の名田の名残りで、あるいは是政が井田氏を名主とする名田であったのかもしれません。 東京競馬場 内にある井田是政墓地から鎌倉・室町時代の板碑が出土しており井田氏が古くからの土豪であったことを物語っています。是政には、鼻取り地蔵の伝説で有名な西蔵院 があります。
◆句碑

神は人の旅によりて
威を増し
人は神の徳によって
運を添ふ
神は正直を以て
先となし
正直は清浄を以て
本となす
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