2017/08/05 02 銀座散歩 02 芝口御門跡/博品館油圧エレベーター/金春屋敷跡

さきほどの「銀座ときめき橋」から新橋駅のほうに歩いていくと、
いろんな史跡などがあった。



◆芝口御門跡



ここの南方、高速道路の下には、もと汐留川が流れ、中央通り(旧東海道)には、昭和三十九年まで新橋が架かっていました。
宝永七年(1710)、朝鮮の聘使(へいし)の来朝に備えて、新井白石の建策にもとづきわが国の威光を顕示するため、この新橋の北詰に、現に外桜田門に見られるような城門が建設されて、芝口御門と呼ばれ、新橋は芝口橋と改称されました。
城門は橋の北詰を石垣で囲って枡形とし、橋のたもとの冠木門から枡形に入って右に曲がると、渡櫓があって堅固な門扉が設けられていました。しかしこの芝口御門は建築後十五年目の享保九年(1724)正月に焼失して以来、再建されず、石垣も撤去され、芝口橋は新橋の旧称に復しました。



<聘使(へいし)>
礼物を持参?して、他国を訪問する使臣。
とのこと。
初めてこんな言葉を知りました・・・・。








博品館油圧エレベーター

銀座の巨大なおもちゃ屋さんに、
変わったエレベーターがあるとのことで、
行ってみた。





言われてみればちょっと臭う。
車の修理工場に入った時のようなニオイだね。
メンテナンスもやりにくいだろうなあ。
エレベーターよりもおもちゃの数に圧倒された(w




◆金春屋敷跡

江戸時代、幕府直属の能役者として知行・配当米・扶持を与えられていた家柄に、金春(こんぱる)・観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)の四家がありました。能楽室町時代に足利幕府の保護奨励を受けて発達し、安土桃山時代には熱心な愛好者であった豊臣秀吉の保護を受け大いに興隆しました。
特に、金春家は秀吉の強力な保護を受け、能楽の筆頭として召しかかえられました。江戸幕府も秀吉の方針を踏襲して能楽を保護し、金春・観世・宝生・金剛の四座を幕府の儀礼に深く関わる式楽と定めました。
元禄六年(1693)頃の江戸市中の状況を記した「国花万葉記」によると、金春大夫は山王町(現在の銀座)・観世大夫は弓町(現在の銀座)・宝生大夫は中橋大鋸町(現在の京橋)・金剛大夫は滝山町(現在の銀座)に屋敷を拝領していたとされています。
金春家は、寛永四年(1627)に屋敷を拝領したといわれ、寛永九年(1632)の江戸図『武州豊嶋郡江戸庄図』には「金春七郎」の名を確認することができ、現在の銀座八丁目六・七・八番地全体を占めていたように図示されています。後に、この屋敷は麹町善国寺寺谷(千代田区麹町三・四丁目)に移りましたが、跡地には芸者が集り花街として発展していき「金春芸者」といわれるようになりました。金春の名は、「金春湯」・「金春通り」などとして、今もこの地に残っています。



このまま新橋駅まで戻り、帰宅。
暑いと体力を奪われるね。