2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧
ここはアニメの街に変わってしまった? というくらいアニメデザインのマンホールが多いね。 全部撮ったとおもったのだが、残っているのが一つあるらしい・・・。 また今度行ってみよう。 ◆ソードアート・オンライン ◆フルメタル・パニック ◆機動戦士ガンダム…
『ところざわサクラタウンは、埼玉県所沢市東所沢和田にあるKADOKAWA及び、角川文化振興財団が所有・運営する複合施設。 所沢市との共同プロジェクト「COOL JAPAN FOREST構想」の中核施設であり、国内最大級のポップカルチャーの発信拠点となる。当初は、202…
『 サクラタウンの向かい側[注 5]にある所沢市の魅力発信施設。敷地面積は8274.71m²、延床面積は約700m²(マルシェ棟・階段棟)。 事業主体は所沢市であり、CJF構想の一環として整備された。施設整備費は約9億4900万円(10年間の維持管理費含む)。指定管理…
安松神社は、大正三年にもと安松地域の各所にあった、稲荷神社二社と氷川神社・八雲神社・神明社・日枝神社の六社を、地区の中程にある長源寺所有の山林を買受けて神社敷地として、もとの社殿の一部を移築して社号も新たに「安松神社」と定めて、氏神様とし…
◆徳川家康 天正19年(1591)来訪 碑 WEBで調べたのだがあまり情報がない・・・・。 ◆慈母観世音 ◆六地蔵 ◆鐘楼 ◆山門 四脚門とは、主柱二本の前後にやや細めの控柱を左右に二本ずつ計四本たてたもので、控柱の数からついた名称です。日本の門の建築様式のひ…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/11/203000 ◆松郷橋 下は東川。 ◆観光情報物産館 YOT-TOKO 別のページで。 2023/03/11 観光情報物産館 YOT-TOKO - ovanの社会科見学 ◆ところざわサクラタウン 別のページで。 2023/03/11 …
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/11/200000 ◆松井陣地跡 ◆石灯籠 現地には石灯籠などみあたらなかった。 google mapのマークは上の写真の所あたり。 何かの間違いなんだろうか・・・・。 ◆マイカイマート 東所沢店 『総…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/11/193000 ◆安松学校跡 あまり情報がない。 参考 まついむら ◆武蔵野線(33)第二下安松ガード ◆西武線・武蔵野線高架 こちらをくぐって線路の反対側(東側)へ。 ◆長源寺 別のページで…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/11/190000 ◆上安松地蔵尊 ◆庚申塔 ◆庚申塔(上安松) ◆松井架道橋 こちらをくぐって線路の反対(西)側へ ◆下ヶ谷戸遺跡 あまり情報がない。 参考 https://www.pref.saitama.lg.jp/isekima…
24時間勤務明けで、西武池袋線秋津駅からJR武蔵野線東所沢駅まで散歩。 ◆秋津駅 西武池袋線秋津駅。 近くにあった地図。 ◆秋津町五丁目アパート ◆秋津花見堂 門が閉ざされていたので外から参拝。 ◆庚申塔 ◆安松田んぼ 参考 まついむら ◆松戸橋公園 ◆松戸橋・…
公園にはたくさんの彫刻があった。 ◆池 ◆交通像 斎藤素巌 とあった。『齋藤 素巌(さいとう そがん、1889年10月16日 - 1974年2月2日)は、彫刻家、日本芸術院会員。本名は知雄(ともお)』 斎藤素巌 - Wikipedia ◆少女立像 こちらも「齋藤 素巌」 ◆農業 こち…
彫刻がたくさんあったので1ページにした。 ◆水の碑 ◆競技への招待 ◆回田道 ◆武蔵野の路 狭山・境コース 狭山・境コースの概要 東大和市武蔵大和駅から武蔵野市千川上水交差点までの自転車道 10.2kmのコースです このみちは、私たちの生活に必要な水を山口・…
大沼田新田は、武蔵国入間郡大岱村(現東村山市恩多町)の名主当麻弥左衛門の願いによって、享保9年(1724)に開発を許可された村請新田です。元文元年(1736)頃には、農家の数も33戸になり、生活も安定してきたので、同年に多摩郡今寺村(現青梅市今寺)か…
ブラックジャックデザインマンホール ブラックジャックのデザインマンホールの場所は大体コチラ
久留米土地区画整理事業 竣工記念碑・慰霊碑 追悼のことば 太平洋戦争で尊い生命を国のために捧げられた人々の父母並にその子女の方々は今もなお故人の面影を偲びその死をあきらめきれないのであります それにつけても戦争は再び起こしてはならないというこ…
矢沢大堅(やざわたいけん)は、江戸中期に中国から渡来した黄檗宗に帰依し、 武蔵国多摩郡上谷保村(現国立市) に圓成院という寺を開いていました。 享保9年(1724) 5月野中新田の開拓が許可されると、大堅は、渡来してまだ日の浅い黄檗宗をこの地に広めよう…
東久留米市の歴史を展示した資料館。 元は学校だったのだろう。 資料はともかく懐かしい感じがした。 こちらを見ると元は滝山小学校とのことだね。 2004年に閉校とあった。 参考 https://omoidecom.jp/School/detail?ScID=12374&Category=0 HPはコチラ 郷土…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/203000_1 ◆萩山第2児童遊園 ◆人形劇団ポポロ HPとTwitterのページがあった。 人形劇団ポポロ人形劇団ポポロ@SINCE1972* (@PopoloPuppet) / Twitter ◆西武拝島線踏切 西部市拝島線の…
大沼田新田では、開拓当初から寺院の建立を念願し、元文元年(1737)のはじめての検地のときに代官に願い出て、寺領予定地 4,000平方メートル余の年貢免除を認めてもらうなどの準備を進めました。 そして多摩郡今寺村(現青梅市今寺) の報恩寺の塔頭(たっちゅ…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/200000_1 ◆稲荷神社(小平駅前稲荷) 境内社 ◆東京ドロンパ・ぶるべーモニュメント 『1998年に生まれたタヌキの男の子。東京タワーの近くに住み、知らない間にパッと現れドロンといな…
野中新田開発の際、 上谷保村 (現国立市)の圓成院住職大堅 と 矢沢藤八らは、田開発に当たり全開墾地の12分の1を社地と寺地にすることにしました。 そして、新田開発の基礎ができた享保9 年 (1724) 9月3日、 毘沙門天を村の鎮守として上谷保村から遷宮し、 …
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/193000 ◆小平駅北商栄会 商店街♪ ◆地蔵菩薩 ◆西武新宿線踏切 西武新宿線の踏切。 ◆小平駅東栄通り 商店街♪ ◆多摩湖自転車歩行者道 別のページで。 2023/03/09 多摩湖自転車歩行者道 -…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/190000 ◆滝山病院 ◆東久留米市 西部地域センター 東久留米市の施設。 西部地域センター|東久留米市ホームページ そらへ帰る雷斧像 戸田祐介 とある作者だろう戸田裕介(とだ ゆうす…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/183000 ◆泉蔵院 別のページで。 2023/03/09 泉蔵院 - ovanの社会科見学 ◆東久留米市 郷土資料室 別のページで。 2023/03/09 東久留米市郷土資料室 - ovanの社会科見学 ◆あじさい公園 …
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/09/180000 ◆子守地蔵尊 ◆小平消防署 花小金井出張所 ◆小金井市立武蔵公園 ◆武蔵野神社 別のページで。 2023/03/09 武蔵野神社 - ovanの社会科見学 ◆地蔵尊 google mapに載っていなかった…
24時間勤務アケで、西武新宿線花小金井駅から同じく萩山駅まで散歩。 ◆花小金井駅 西武新宿線花小金井駅。 ◆拓殖大学第一高等学校誕生の地 「拓殖大学予科」 移転開校 : この地で始まる 【この地での沿革】 昭和15(1940) 年 4月 拓殖大学予科、 茗荷谷よりこ…
当神社のご祭神日本武尊ヤマトタケルノミコトは日本古代史における伝承上の英雄です。「古事記」では倭尊命と記し「日本書紀」では日本武尊と記します。 古事記にはヤマトタケルが父の景行天皇から不信の念を抱かれ、西征・東征と目覚ましい武勲をたてていく…
◆境内社(愛宕神社/御嶽神社/稲荷神社) ◆御神木 御神木と伝説(蜻蛉の寄生木) 昔秋津村に無理なことばかり云って村人達を困らせていた殿様が居ました。この殿様がある秋の日、家来の者に「蜻蛉を私の年だけ捕まえて参れ」と命じました。扨て神社ですが、当時…
◆庚申塔 庚申塔の由緒 その昔持明院に通じる参道は杉の小立ちと木林に囲まれ 春は若葉秋は紅葉の風景でした。小高い丘の北側に友松堂建坪二拾坪ご本尊は薬師如来様をお祀して堂をお守りしました。周りは雑木で囲まれお堂の下の道端に庚申塔が東向祀られ年(回…
駅の東側。 ◆モニュメント「トトロの生まれたところ」 アニメーション映画「となりのトトロ」は所沢から生まれました。 原作・脚本・監督を務めた宮崎駿監督が、所沢に住むようになったのは1960年代後半。 宮崎監督は、所沢の自然や風土に触れるうちに「とな…