この日記のエリアは先程のエリア南西方向。
ほぼ中央線沿いに移動したような形になる。
坂ばっかりだった・・・。
◆名前のわからない坂
良い坂なんだけど、名前がわからなかった・・・・。
法政大学の近く。
雅楽坂うたさかともいう。江戸時代初期、この坂道の東側には酒井雅楽(後の姫路酒井家)の屋敷があった(『新添江戸之図」)。坂名は雅楽頭(うたのかみ)にちなんで名付けられたのあろう。
一度下ってちょっと広い道に出たところで終わったと思ったら、今度は坂を登っていて、こちらも鰻坂。
坂が曲がりくねっており鰻のような坂だ,という意味から鰻坂と呼ばれた。 『御府内備考』の払方長の項に「里俗鰻坂と唱候,坂道入曲り登り云々…」と記されている。
google mapに載っていたので来てみた。
この次の「ごみ坂歩道橋」に繋がっているので「芥坂」でいいのだと思う。
google mapに載っていたので来てみた。
マークの位置はこの工事中の建物あたり。
説明板などは何もなかった。
WEBで探したらこちらのページが見つかった。
http://www.syougai.metro.tokyo.jp/iseki0/iseki/list/ruins/13104/0376.htm
◆浄瑠璃坂
坂名の由来については,あやつり浄瑠璃が行われたため(『紫の一本』),かつて近くにあった光円寺の薬師如来が東方浄瑠璃世界の主であるため(『再校江戸砂子』),などの諸説がある。 江戸時代,坂周辺は武家地であった。 この一帯で寛文十二年(1672)に「浄瑠璃坂の仇討」が行われ,江戸時代の三大仇討の一つとして有名である。
続く。