◆中野新橋
この唐金(からかね)(青銅)の擬宝珠は、1961年(昭和36年)2月8日の営団地下鉄丸ノ内線(当時の名称は荻窪線)の開業と同時期に架け替えられた当時の「新橋」の親柱の頂部に、2011年(平成23年8月)まで取り付けられていたものです。
この記念碑には、「本郷道は水車場へ往復する車馬のため道路が損壊し難儀はたとえようもなかった。そこで有志土方平吉が発起人となり、賛成者左記の八名と水車所有者、近辺の住民との寄付金によって材料に花崗岩などを使い、改修工事は、明治三十三年四月から二年余りで完成した。立派な道路で便利になったので、その次第を刻み、後生に伝えることとした。」大意このように記されてます。
当時の豊多摩郡長の丸山良香が撰文し、東京都知事千家尊福の筆になる碑文で、この改修が二年四ヵ月にわたる。当時の大事業であったことがわかります。
この道は、本郷村の氷川神社の傍らをとおる旧道で、村の中央を東西に貫き、成願寺裏から、本郷水車場(現、本町一丁目1番2号)へ製粉、搗立用の穀物を運ぶ重い馬車や荷車が通いました。発起人以下賛同者のほとんどは、当時の村の有力者です。いま本郷村の鎮守であった氷川神社の境内にたつこの顕彰碑は、旧村の生活を物語る名残といえましょう。
◆本郷氷川神社
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ちょうどお祭りの準備をしていました。
神楽殿
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庚申塔
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庚申塔の場所はおまつりの資材置き場になってしまっていた・・・・。
続く。