早稲田通りを東へ進む。
途中までは以前散策したことがある。
◆大和陸橋
環七。
◆高円寺氷川神社
地元の鎮守。
そういえば、ちゃんと日記にまとめたことがなかったなあ・・・。
この神社は、旧高円寺村小名(しょうみょう)原の鎮守で、祭神は素盞嗚尊(すさのをのみこと)です。
創建については口碑によれば、天文年間(1532~15)、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃といわれます。また社伝によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源ともいわれています。しかし、詳細なことは詳かではありません。
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡高円寺村氷川社の条に「除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社三尺四方南向、上屋二間に三間、木の鳥居をたつ、村内高円寺の持」と記されており江戸時代には、原の鎮守様として農民の信仰を集め、高円寺が別当職を務めていたといわれます。明治七年、村社となりました。
境内には、三社の末社が祀られていますがなかでも気象神社(祭神八心思比顕命・やごころおもいかねのみこと)は、全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。この社は、戦時中、旧馬橋四丁目にあった陸軍気象部内にあったものですが、戦後、関係者の要請で当神社の境内に遷されました。
例祭日は、八月二十八日です。
この気象神社は、旧陸軍機勝負の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目)に昭和19年4月10日造営、奉祀され、都ちゅう空襲に因る焼失、再建されたが、太平洋戦争の終戦に依り気象部隊解散に伴い旧気象舞台関係者によって払い下げを受け当高円寺氷川神社に昭和23年9月18日遷宮祭を執行し、移設されたものである。
以来気象舞台関係者をはじめ多くの方々のご参拝、奉仕を受けて参りました月日の経過とともに社殿の腐食が甚だしく遷宮55年を記念して新しい社殿の御造営に着手し、平成15年6月1日の気象記念日に竣工式を挙行した。
WEBで調べるともう少し境内社があるらしい・・・。
あとはそのまま家に帰った。
気象神社は「天気の子」の聖地でいいのかな?
スカパーで放送されたら見てみよう♪