2020/03/15 六郷散歩 02 大田区民ホールアプリコ小ホール/蒲田駅前図書館/日本舶用ディーゼル機関発祥之地/蒲田本町一丁目公園/新宿稲荷神社/六郷用水新宿糀谷村用水跡/田中丘隅物語 用水改修計画

京急とJRの線路を東西に行ったり来たりしながら南へ進む。



大田区民ホールアプリコ小ホール

こちらは昔松竹の撮影所があった場所。
以前来たときの日記があった。
2014/10/02 東京都立産業技術センター 城南支所 一般公開 - ovanの社会科見学



蒲田駅前図書館



◆日本舶用ディーゼル機関発祥之地

説明板などは何もなかった。
WEBで調べると・・・。
「大正10年(1921年)、新潟鉄工所蒲田工場が建設され、日本初の産業用ディーセル機関が誕生しました」
とあった。
大田区ホームページ:日本舶用ディーゼル機関発祥の地






◆蒲田本町一丁目公園



◆新宿稲荷神社







◆六郷用水新宿糀谷村用水跡



 六郷用水は徳川家康が慶長二年(1579年)江戸近郊開発のため小泉次太夫に命じて開削した農業用水路のことです。
この用水の分流水路である新宿糀谷村用水は、道塚村・蒲田新宿村から糀谷村の南、萩中村の北を通って浜竹用水へと続き、南前堀へ流れて東京湾に落ちていました。
 用水は、農業用水としてはもちろんのこと生活用水として欠くことの出来ないものでしたそのため「生命の水」とも呼ばれていました。
 新宿小学校の前身の蒲田新宿小学校の頃には、この地に用水が流れていました。
 土地の人々に愛された用水には、鮒やめだかが泳ぎ、ホタルが飛びかっていたそうですが、今は暗渠になりましたが一部がここに残されています。



歴史物語テジャバラ

六郷用水では、田植時や夏の日照り時に、水位の低くなった用水から田へ水をあげるため、「テジャバラ」が用いられました。テジャバラは、江戸時代に考案され各地に普及していた農具です。田に水を揚げる農具は、他に足で羽根を踏んで回すジャバラもありましたが、六郷ではほとんどジャバラが用いられ、昭和十年前後まで使用されていたといわれています。








◆田中丘隅物語 用水改修計画

六郷用水は、開削から百年余も経つと、用水不足が深刻となり、幕府は代官(支配勘定並)の田中丘隅(きゅうぐ)に用水改修を命じました。
享保十年(1725)、丘隅は用水改修のために、干ばつの被害や水争いの上京を検分し、水道不足解消のための水門設置場所の要望を聞くなど下検分を実施し、これをもとに改修計画が立てられました。






続く。