2021/04/08 西尾久散歩 07 延命子育地像尊/西尾久六丁目防災スポット/荒川遊園煉瓦塀/空を見る少女/小台橋/隅田川水上バス乗り場

隅田川沿いを東へ進んで小台橋へ。
小台橋で隅田川を渡って足立区へ突入!




◆延命子育地像尊



日待供養塔二基と延命子育地蔵尊
 ここには寛文九年・宝永二年銘の日待供養塔二基(区登録有形民俗文化財)をはじめ、寛永二十年銘の地蔵菩薩像や庚申塔など、江戸時代に建てられたいくつかの石造物が ある。なかでも日待供養塔は、江戸時代初期のものであり、現在のところ区内ではここ以外確認されていない。
 日待とは、決められた日に講中が集まって日の出を待ちながら一夜を明かす行事である。日待供養塔には上尾久村講中の村人の名が刻まれており、江戸時代、
日待や庚申待などの民間信仰が存在していたことがうかがえる。
 延命子育地蔵尊は、かつて荒川遊園通りの西側にあったが、戦後、道の向かい側の現在地へ移転した。
 延命·子育にご利益が あるといわれ、今も多くの信仰を集めている。毎月二日・十ニ日・ニ十二日の「ニの日」に緑日が あり、毎年七月十二日に祭りをおこなう。









◆西尾久六丁目防災スポット








荒川遊園煉瓦塀






 この煉瓦塀は、荒川遊園を取り囲んでいた塀の一部です。南端には一対あった門柱の片方が残っています。煉瓦の積み方は、煉瓦の小口を見せる小口積みと、長手を見せる長手積みとを一段おきに繰り返し積む「イギリス積み」です。古老の手記によると、大正十一年(1922)、荒川遊園地が開園した時に木の塀から煉瓦
塀に改修されたといいます。
 かつて尾久地区の隅田川沿いには、材料の土が入手し易く、舟運の便が良かったため、いくつもの煉瓦工場が設けられました。その一つ、広岡(後、王子に改名)煉瓦工場の跡地に、大正十一年、荒川遊園が開園しました。広岡幾次郎(いくじろう)をはじめとする地元有志により、市民の精神の慰安と身体の健康増進のために設置された民営遊園地です。
 その後、王子電車への乗客誘致を目的として、王子電気軌道株式会社が荒川遊園の経営に参入しました。戦時中は、閉園を余儀なくされましたが、昭和二十四年(1949)、荒川区立の遊園地として再スタートしました。
 敷地の一部は戦後間もなく宅地化され、以来、煉瓦塀は宅地の境界や盛土のための土留めとして利用され今日に至ります。
 荒川遊園煉瓦塀は、近代的な景観をとどめる遺構として歴史的価値が高い貴重な文化財です。また、連続する煉瓦塀が作りだす景観はこの地域独自の風景として長年親しまれており、貴重な風景遺産でもあります。








◆空を見る少女

「掛井五郎」とあった。

こちらに紹介のページがあった。
空を見る少女/荒川区公式サイト

掛井五郎さんについてはこちらのページに詳細が載っている。
Top|一般財団法人掛井五郎財団<GORO KAKEI FOUNDATION>








◆小台橋

下は墨田川。










隅田川水上バス乗り場

右側の観覧車は荒川遊園のもの。









続く。