ここでもほぼ線路沿いに西へ。
◆宝蔵寺橋
古隅田川跡。
この辺りは、19世紀終わり頃まで北三谷村といわれたところである。慶長19年(1614)の古文書に「淵江之内ふげんじ・さん屋新田間之事」とあり、その頃開拓されたことがわかる。
当時は、古隅田川が利根川流域の氾濫原野の湿地帯であったと想定される。この開拓にまつわり、謡曲や浄瑠璃「隅田川」で名高い梅若丸の物語に由来する伝説がある。その昔、貴族の子梅若丸が人買いに誘拐されて奥州へ向かったことを知った母親が、従者4人を伴って京の都から追ってきた。しかし、隅田川の渡し守から梅若丸が死んだことを聞き、悲嘆にくれて尼となり草堂にこもってしまった。主を失った従者は浅草山谷の地に住んだがやがて安住の地を求めて隅田川を北上し、この地を開いて北三谷と名付けたのだと言う。
「隅田川」の舞台は村上天皇の時代というから10世紀の物語で、開拓年代とは5世紀以上も開きがあるが、これも隅田川の名が生んだ地名伝説の一つとして継承されてきたものであろう。
◆北三谷稲荷橋
古隅田川跡。
◆庚申塔
google mapには載っていなかった。
赤丸印の所が上の写真の所。
続く。