2021/11/20 神田散歩 01 竹橋/物揚場跡/内神田一丁目/御宿稲荷神社/稲荷湯/内神田田尾嶋公園

24時間勤務アケで、竹橋から御茶ノ水まで散歩。








本郷通りに出て北上する。





◆竹橋

スタートの竹橋。
職場からスタート。













◆物揚場跡

一度来たことがある。
2017/08/21 02 神田散歩 02 物揚場跡/豊展観守像/大田園三のレリーフ/神田橋/学習院(華族学校)開校の地/東京電機大学跡地 - ovanの社会科見学



日本橋川水道の物揚場標石ここに出土す
往時をしのぶよすがとして後世に伝える













◆内神田一丁目

上記「物揚場跡」すぐ脇。



 江戸時代、神田橋のたもとのこの界隈には、荷揚げ場がありました。徳川家康は、江戸に入るとすぐに江戸城の築城と町づくりを始め、城を囲む御堀(現・日本橋川)はそのために建築資材などを運ぶ水路として活用されました。古い地図を見ると、神田橋付近に「かしふねあり」と記され、ここが水運の拠点だったことがわかります。
 神田橋は江戸城外郭門のひとつで、上野寛永寺日光東照宮への御成道(将軍の参詣経路)となっていました。このような要所であったため、ここには明治のころまで建造物は何もありませんでした。明治初期の地図んは鋼板と電話があるだけです。
 明治五年(1872)、いったん美土代町となりますが、空き地の状態は第二次世界大戦後まで続きました。そして昭和四十一年(1966)、内神田一丁目に編入されました。
 昭和五十八年(1983)、神田橋土木詰所の敷地となっていたこの場所に、内神田住宅が完成すると九十世帯が住むようになり、平成五年(1993)、地位世だくのもっとも新しい町会として、内神田住宅町会が誕生しました。さらに平成十六年(2004年)、町会名は神田橋町会と変りました。













◆御宿稲荷神社



神田区三河町1丁目鎮座御宿稲荷神社ハ天正ノ昔徳川家康公関東移封ノ際武蔵国神田村ノ郷士ノ家ニ授宿セラル其庭中ニ宇迦能御魂ノ神祠アリ後幕府ヨリ公ノ足跡ヲ止メラレシ記念トシテ社地ノ寄進有ケレバ茲ラ廣ク世ニ御宿稲荷ノ大神ト崇メ奉レリ。尚徳川氏江戸城ニ入城セラレテノチ此地ニ三河国ヨリ臣下ノ永住スメル者年ト共ニ増加シ遂ニ三河町ト称スルニ至レリ。大神ニハ爾来衆庶ノ崇敬歳月ニ加ワリ神徳灼トシテ輝キ又今回崇敬ノ人々相議リ時代ノ推移ト共ニ事跡ノ散逸センコトヲ考慮シ神殿ノ改修ト共に其縁起ヲト乞ワルル儘ニ謹ミテ一言記シ奉リヌ。















◆稲荷湯

銭湯♪















◆内神田田尾嶋公園



本公園は、千代田区に長い間住まわれた尾嶋實、翠御婦人のご厚意により寄贈された土地を整備し、平成9年に開園しました。


尾嶋實さんを調べてみたのだが、WEBでは詳しい情報が得られなかった。
ご存じの方は教えてください。
(o*。_。)oペコッ













続く。