2022/04/06 浅草散歩 08 浅草寺病院/道引長太郎地蔵尊/浅草5656館/みちびき花の辻商店街/長寿院/医王院/被官稲荷神社

千束通りの更に東側に通る細い路地を今度は南へ。
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浅草寺病院













◆道引長太郎地蔵尊













◆浅草5656館

雷おこしを買った♪













みちびき花の辻商店街

商店街♪












◆長寿院












◆医王院












◆被官稲荷神社



 安政元年(一八五四)、新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(現、京都府南部)の伏見稲荷社に祈願した。その効果があって病気全快、同二年、お札の意|味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は不詳だが、被官
は「出世」と解せば良いという。
 辰五郎は上野寛-永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本姓は町田であった。輪王寺宮舜仁法親王浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。その門の番を命じられたので、新門展五郎と呼ばれた。辰五郎は町火消十番組の組頭としても、多彩な
活躍をした。
 社殿は一間社流造、杉皮葺。創建以来のもの。間口約1.5m、奥行約1.4mと小さいが、覆屋(おおいや)を構えて保護している。覆屋は大正期の浦建築であろう。社前には、「安政二年九月立之_新門辰五郎」と刻む鳥居ほかかある。














続く。