2022/12/24 山本有三記念館


三鷹市山本有三記念館(みたかし やまもとゆうぞうきねんかん)は、東京都三鷹市下連雀二丁目にある公立博物館。
昭和初期に三鷹にて暮らした作家・山本有三の生涯や作品を紹介したり、展示やイベントを開催したりしている。
なお、同館の建物には、山本が1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで、家族とともに居住した大正末期竣工の洋館(三鷹市有形文化財に指定)がそのまま利用されている。 』


『山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年〈明治20年〉7月27日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家[2]。本名は山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員。文化勲章受章。
人道的な社会劇作家として名を成し、『嬰児殺し』『坂崎出羽守』『同志の人々』などを発表。その後、小説に転じて『波』『女の一生』『真実一路』『路傍の石』などを書き、理想主義の立場から人生の意味を平明な文体で問いかけた作風で広く読まれた。
第二次世界大戦後は貴族院勅選議員。のち参議院議員として新仮名遣い制定など国語国字問題に尽力した。 』
山本有三 - Wikipedia





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◆2F







◆玄関など








◆企画展 「山本有三ー作家として、教育者としてー」



 昭和7(1932) 年3月、山本有三 [1887-1974] は、 明治大学に復活した文科専門部の文芸科に初代科長として招聘されました。 科長を務めたのは、 昭和7年4月から11年3月までの4年ほどでしたが、 在任中は並ならぬ熱意を燃やし、 他大学と一線を画した革新的かつ個性的な文科を創り上げました。
 有三は、その長い生涯のなかで作家業にとどまらず、多角的な活動を展開した人物です。 特に、 児童向け叢書『日本少国民文庫』 (昭和10~12年) の編纂や、 自邸を利用したくミタカ少国民文庫> (昭和17~ 19年) の活動 小学校
用教科書 『山本有三編集国語』の刊行 (昭和26年) など、次代を担う青少年の育成に生涯をとおして心を砕きました。 明治大学における文芸科長としての仕事は、有三にとって教育者としての出発期であったと位置付けることもできるでしょう。
 本展では、山本有三が 「作家」と 「教育者」の両輪で活動した、 昭和7年3月から11年3月頃までの活動を中心に取り上げます。 科長在職中の活躍を報じた新聞や、 「明治大学文科復興紀念大講演会」 のポスター (昭和8年3月)、長編小説 「女の一生」 (昭和7~8年) の自筆書き込み入りの切り抜きなど、 多彩な資料とともにお楽しみください。






山本有三記念館のHPはコチラ↓
http://mitaka.jpn.org/yuzo/






場所はコチラ↓






休館日
カレンダーを見ると年末年始と月曜日のようだが、行かれる方は事前にHPなど確認してから行ってくださいネ!
三鷹市山本有三記念館 | 公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団