下保谷ふれあい歩道橋の下に南入経塚の案内板があった。
◆南入経塚(みなみいりきょうづか)
かつてこの場所(住吉町5-13) には 「南入経塚」と呼ばれる直径14m、高さ2.5mにも及ぶ塚が存在していた。 古くは元禄2 (1689) 年の古地図にも描かれ、長く畏怖の対象であった。
塚の構築年代や目的は定かではないが、 『新編武蔵風土記稿』に記された 日蓮宗への改宗に伴い経典を埋めた 「経塚」の伝承からか、いつしか旧字名を冠した 「南入経塚」と呼ばれるようになった。 しかし、 発掘調査の結果 「経典」は確認できず、 周溝などの付帯施設も発見されなかった。 このことや、この地が、 かつての下保谷村と上保谷村の境にあり、 また、 信仰する宗派の境でもあること、 古道 「横山道」 沿いにあること等から、塚それ自体がシンボルとなるような「境塚」 であったと考えられる。
塚には、造後3基の石塔が建立されていたが、 そのうち天明元 (1781)年に建立された題目塔 (③) は高さが3m以上あり彫りも見事で、台座には当時の下保谷村の村人 123人の名が記されている。 この塚が神聖で、 非常に重要な場と考えられていたことがわかる。
塚は平成20(2008) 年に消滅したが、西東京市の歴史を刻む貴重な文化財として、ここに記しとどめる。
google mapのマークは上の写真の所あたり。
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