2023/02/19 前沢御殿跡(楊柳沢御殿跡)





 江戸時代には、調練した鷹を放って動物を獲る鷹狩が盛んでした。鷹狩の場所を鷹場といい、現在の東久留米市を含めた武蔵野一帯は徳川御三家尾張家の鷹場でした。
 その鷹狩の際の宿泊所が寛永一八年(1641)から延宝四年(1676)までこの場所の旧延命寺にあり、前沢御殿や楊柳沢御殿と呼ばれていました。前沢は村の名、楊柳沢は御殿の北を流れる川の名とされています。また、尾張名古屋城の別名が楊柳城であるためともいわれています。
 前沢御殿の見取図によると、前沢宿につづく東に門があり中央には北に玄関を持つ藩主等が使う屋敷がありました。その北側には鷹匠と鷹がいる御鷹部屋があり、周囲は塀で囲われて鷹狩は半月近く行われ、前沢御殿は三〇年以上その宿泊所として利用されました。





◆旧延命寺民間信仰石造物群



 これらの石造物は、人々の信仰を集めた旧延命寺の門前に並んでいたもので、向かって右から
地蔵菩薩        寛政七年(1795)
地蔵菩薩        年代未詳(一八世紀)
庚申塔         年代未詳
法印権大僧都亮孝墓塔  天保九年(一八三八)
地蔵菩薩        年代未詳
となっており、旧延命寺にかかわる数少ない資料です。
 なかでも、法印権大僧都亮孝墓塔は市内でも唯一のもので、梵字の銘からみると胎蔵界大日如来像と推測されますが、がっしりとした体躯と螺髪、厳しい容貌は通常の如来とやや異なる印象を与えます。僧位僧官や亮孝という僧名、略歴等が刻まれ、「天保九成年正月三日寂」の銘がみられることから、これは僧亮孝の肖像を彫刻した墓塔と考えられます。





◆観音像





◆石塔等





場所はコチラ