以前お参りに来たことがある。
2018/01/15 神楽坂散歩 04 八兵衛稲荷神社/感通寺/池立神社/本松寺/夏目坂/夏目漱石誕生の地/喜久井町戦災者供養観音像 - ovanの社会科見学
この時は下記「喜久井町観音」は台座だけだったんだけど、再建できたようだね。
◆喜久井町観音
昭和二十年五月二十五日當町ヲ含メテ山手地区ハ米空軍ノ空龍手ヲ蒙リ悉皆灰塵ニ歸セリ酸鼻ノ状タル死屍
累々トシテ巷ニ倒レ残月白骨ヲ照シ遂ニ惨害シテ異物ト為スノ観ナリキ。殊ニ夏目坂台地ヨリ早稲田通リ向ケL字型ニ
構築セル地下壕ノ中ニ避難ノ人々ハ爆撃炎上ノ焔ト瓦斯ノタメ犠牲者参百余名ヲコエタリト。親ハ愛児ヲ抱キ、若キハ
老タルエオ庇イ、夫ハ妻ヲ助ケント為シタル等、或ハ全身大焼炭化シ、或ハ生ケルガ如ク直立シ、或ハ両手ヲ虚空ニシテ落命
セル等、目ヲ蔽イ言ヲ失フ恐怖地獄ノ惨状ナリキ。惨害無残・非命ニ倒レシ犠牲ヲ念フトキ人皆歔欷シ或ハ慟哭シ、
心折レテ生事ヲ悲シムノミナリ。屍ヲ積ンデ草木暒ク流血ハ瓦礫ヲ染メテ声ナシ、マコトニ国破レテ山河アリ、魂魄招
ケドモ再ビ来ラズノ感懐ヲ深カラシム、ココニ春風秋雨メグリテ三十三年ノ歳月ヲ閲ミシ漸クニシテ観卋音菩薩一体ヲ造
立シ奉ルコトヲ得タリ。願クバ日米彼我戦歿之諸英霊・町内戦災殉難之諸精霊當寺戦死病没之諸英霊
鎮魂供養ノタメナリ。今ヤ一会ノ大衆ト共ニ梵唄誦経修スル所ノ秘妙五段ノ加持ヲ以テ観卋音菩薩御尊像
開眼供養ノ法儀ヲ営ナミ、仰而喜久井町観音ト名ケ奉ル者也、造立シ奉ル喜久井町観音、ソノ妙智之
力ハ能ク群生ノ苦厄ヲ救イ、十方諸々ノ国土ニ於テ身ヲ現ゼザルナク、克ク生老病死ノ苦ヲ減ジ常ニ苦悩諸厄ニ於テ依怙
トナラセ給ハン事ヲ。
◆毘沙門天堂
第二次世界大戦が終了し戦勝国も敗戦国も、そして人々も戦争は、つくづく懲りたはずなのに、その後も全世界各地で愚かな争いを繰り返し ています。
正義の為と称し、民族、宗教その他あらゆる理屈付けのもとに戦い、地獄の様相を現じております。 佛様のお説きになる平和で争いのない、互いに尊重しあう浄佛国土は、いつになったら顕われるのでしょうか。
この人類平和の願いが古来より、「さざれ石」に願いを託して永く伝えられてきました。
国歌に詠まれているごとく「千代に八千代」の年月を経て「さざれ石の巖」となり「苔のむす」と云う、団結と繁栄、平和と長壽を象徴した石であります。
特にこの石は「都園」から寄贈を受け、昭和四十五年に開催された大阪万国博覧会での日本館に展示されていたと云うものです。
この石は、学名を石灰質角礫岩と云います。石灰岩が雨水に溶解して粘着力の強い乳状体となり、地下に大粒の石、小粒の石を集結して次第に大きくなったものであります。
霞桜 × オオシマザクラ系のサトザクラ 交配品種
笹部 新太郎翁(明治二十年~昭和五十四年)
笹部新太郎翁は大阪市北区生まれ。桜一筋に人生を貫き、九十一年の生涯の大半を、日本古来の山桜や里桜などの保護育成のために捧げた。大阪造幣局の桜、岐阜県御母衣の荘川桜の移植などを手掛けている。
昭和三十五年、自宅の庭に珍しい桜が芽生えた。この若木に愛情を注いで丹精し、やがて昭和六十年に新品種として「笹部ざくら」と命名された。
関東では、昭和天皇御在六十年記念として吹上御所に五本献納され、池上本門寺には平成三年に寄贈される。當山の笹部ざくらは池上本門寺の枝分けとなる。
『吉野桜が木綿ならば、笹部桜は絹である』と高く評価されている大変珍しく、美しい桜である。
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