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https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2025/01/19/183000
◆観月橋(石碑)
ここに、妙観堀 に架かる観月橋がありました。橋の名は、橋が小高い位置に架かっていたため月を鑑賞するのに格好な橋だったことに由来するようです。この辺りの往時の風情がしのばれます。
◆矢崎地下道
上はJR南武線。
こちらをくぐって線路の反対(東)側へ。
川崎街道 (かわさきかいどう)の名は、この道が川崎に通じることに由来します。甲州街道の南、鎌倉街道 辺りまでは古く横街 、古街道 と呼ばれ大晦日には市が立ち大変なにぎわいだったそうです。
この坂は,府中街道の一部を成しています。
坂の名は,徳川将軍家の「府中御殿」に由来します。府中御殿は,徳川家康が天正十八年(1590)八月一日に江戸入城ののち,鷹狩りや鮎漁などで府中へきた時に宿泊する所として現在の本町一丁目十四番地に建てられたものです。この府中御殿は,正保三年(1646)の府中大火で焼失しています。その後,再建されることはありませんでしたが,地名「御殿下」や坂名として残っています。
坂上。