

川野商店(和傘問屋)は1926年(大正15) に、現在の江戸川区南小岩に建てられた出桁造りの建物である。
重厚な屋根の造りや江戸以来の町屋の正統的特質を継承する格子戸などの造作にこの建物の特徴を見ることができる。
小岩は、東京の傘の産地として当時有名であって、川野商店では、職人を抱え傘を生産し、また完成品の傘を仕入れ、 問屋仲間や小売店へ卸す仕事をしていた。
川野商店で傘の生産を行っていたのは、 明治末から大正5年頃までで、それ以降昭和 20年頃まではもっぱら問屋としての商いを行っていた。
建物内部では、昭和5年当時の問屋としての店先の様子を再現し、また蔵へとつづく渡り廊下では傘の歴史や製作工程などについて解説している。
建築年: 1926年(大正15)
旧所在地: 江戸川区南小岩八丁目
寄贈者 :川野作次郎氏 久良枝氏
和傘の歴史

和傘の起源
カサには頭上にのせ、かぶるものと、頭上にかざす、柄のあるものと種類あり、前者を笠と呼び、後者を傘と呼ぶ。日本の中世においては、カサといえば空のことで、傘の方は、さしがさ、あるいはからかさと呼んでいた。
当初の傘は開閉のできないもので、中国やインドで貴人にさしかける形式の柄の長い傘であり、奈良、平安時代にはすでに日本に存在していた。その後、平安、鎌倉時代に開閉のできる傘が伝来したのだが、傘が民間に普及するのは江戸時代になってからのこととなる。
江戸時代に有名だったのは美濃加納藩 (現在の岐阜市)の「加納傘」である。この地方は良質な竹材や有名な美濃紙など傘作りの材料に恵まれ、現在も和傘作りが続けられている。加納傘の販路は江戸で、これを「下り傘」といい、江戸では地元で生産したものを「地の傘」 「地張傘」と呼んでいた。
江戸での傘作りは当初、青山が中心であった。 「傘張り」というと下級武士の内職というイメージが定着しているが、確かに傘作りは武士の副業が多かったようである。 青山の傘作りは青山から麻布にかけて盛んに行われていた。
和紙の強靭性により、日本では質の良い傘ができた。しかし、和傘は消耗品であったため、明治になって耐久性の強い、布地で鉄骨の洋傘が入ってくると、急速に交替していった。
小岩の傘づくり
江戸川小岩の傘作りは、江戸時代に青山の御家人に師事して傘作りその技術を体得し、始まったといわれている。明治に入り、青山の傘が衰退していったのに対し、 小岩の傘作りはその規模を拡大し、明治後期から大正末期までが全盛期となった。 傘作りには傘を天日に干すための広い場所が必要であり、郊外の小岩に生産の中心が移っていったとも考えられる。
小岩で生産されたのは「番傘」と「蛇の目傘」 が主であった。後年には輸出用の「絵日傘」や使用済み傘を再利用した 「張り替え傘」 が盛んに作られた。
「番傘」とは、厚い白紙を張った実用本位の丈夫なもので、もとは「大黒屋傘」 として大阪で生まれ、これが江戸で番傘となり、屋号や番号などを書いて商店や旅籠などで用いたり、サービスと宣伝を兼ねて、にわか雨の貸し傘に使われた。
「蛇の目傘」は、より細身のもので、本来はその模様 (傘の中腹に白い輪が一周入る) が蛇の目のように見えたからそう呼ばれていた。
その他、最盛期の小岩では、露天商の使う巨大な「大傘」や子ども用の「小傘」も作られていた。
小岩小唄には「小岩名物雨傘日傘、見せてやりたい星下り松、いつも緑のカレ松の色」という一節がある。 乾燥のために通りに干した傘がまるでいろとりどりの花が咲いているようだった、と聞いている。
●竹
竹は柄と骨に使用する。 小岩の材木屋が余所から仕入れた竹材を傘屋が使用した。
千葉 栃木方面 島根 山口方面
●和紙
江戸和傘に使用された高級和紙として栃木県烏山のものと茨城県西の内のものがあげられる。 安物の傘にはマニラ麻紙が使われた。
栃木県烏山 茨城県西の内 埼玉県小川
●油
傘の和紙の防水処理のために油を使う。
都內
●糊
傘の骨と紙の接着用
秋田 岐阜県 高山 ( ワラビ糊)
●染料・顔料・ニカワ・ 柿渋・漆
傘の紙を染めるのに染料や顔料を使う。染料は水に溶けそれ自体に染めつく力を持っている。顔料は染めつく力がないので膠着材としてニカワを溶かして混ぜる。
閉じた傘の表面(親骨の上)には、柿渋や顔料で下地を塗り、漆で仕上げる。 他に柿渋は糊に入れて耐久性を増すのにも使用した。
●系
ロクロと骨をつなぐ 「つなぎ」の糸 (絹木綿)、親骨と小骨を
つなぐ 「中糸」 (木綿)、傘の外周になる 「軒糸」 (木綿) 及び、
蛇の目傘の中に飾りをつけるための「かがり糸」 (絹) がある。
●ロクロ
傘の頂点につく頭ロクロ、開閉部で小骨を支える手もとロクロと一本の傘に2つのロクロが必要となる。 ロクロの材料はミズキである。もともとは木地師が椀や盆の木地を作るために、材料の木を回転させる仕掛けをいったものである。
●ハジキ
開いた傘をとめる部品。木材や骨材の薄い板に竹の小さな板きれをはめたもので、この竹の弾力を利用する。
●籐
蛇の目傘の手元に籐を巻いて滑り止め兼飾りとする。
販路
「江戸川区勢実態調査誌』(江戸川区議会1951) によれば、「現在は全国を販路として番傘、日傘、蛇の目傘等で月産二万本を数え、近年は外国向けの絵日傘の需給生産も多額にのぼっている。」と記されている。 しかし川野商店 (和傘問屋)に関する今回の調査では、川野商店の完成品の卸先は、以下の範囲にとどまっている。
イ. 東京市内の傘問屋または小卸商へ
口. 千葉県総武線沿いに成田市まで
ハ. 千葉県内房線沿いに木更津まで
ニ、茨城県常磐線沿いに水戸まで

