今度は環七沿いに南下する。
首都高速と交差するところまでやってくる。
一之江分教場跡
大正二年(1913)四月、一之江村と瑞穂村が合併して瑞江村となったのを機に、一之江尋常小学校は瑞江尋常小学校と改称、瑞穂尋常高等小学校は瑞江尋常高等小学校と改称しました。大正九年(1920)七月に瑞江尋常小学校を廃して瑞江尋常高等小学校に合併しました。同十二年八月、瑞江村大字東一之江に新校舎が完成して移転しましたが、椿・新堀(にいぼり)・谷河内(やごうち)そして一之江地区からは遠いところでした。移転直後の関東大震災で校舎が損傷を受けたため、この地に残っていた瑞江尋常小学校の校舎を平屋二棟に整備して瑞江尋常小学校の一之江分教場としました。本校から遠い一之江地区の低学年の児童は、ここへ通いました。昭和二十二年(1947)瑞江尋常高等小学校は瑞江小学校となり、翌年瑞江中学校が開校しています。昭和二十八年に新中川放水路の開削工事によって、瑞江小学校が現在地へ移転しました。このとき新たに一之江小学校が文教独立して開校しています。昭和三十八年三月、椿分校(現春江小学校)が新設され、一之江分教場は廃止されました。
一之江分教場の沓脱石(くつぬぎいし)
この石は一之江分教場で沓脱石として実際に使われていたもので、一之江一丁目在住の湯本豪一氏より寄贈されたものです。
「一之江名主屋敷」の当主、田島家の菩提寺、城立寺(春江町二丁目)より寄贈されました。東一之江村(江戸時代)の一之江境川沿いに、数多くのタブノキが植えられ、現在でもこのような大木が区の保護樹として、大切に守られております。
◆旧一之江村役場跡
google mapでは、先程の「一之江分教場の杜」の所にマークされている。
一之江村で調べたら・・・
1889年(明治22年)5月1日、東一ノ江村、新堀村、一ノ江新田の全域と、谷河内村と鹿骨村の各一部が合併して発足。
1932年(昭和7年)10月1日、瑞穂村と合併して瑞江村を新設。一之江村消滅。
とのこと。
村役場のことまでは調べられなかった。
◆一之江境川親水公園
◆日枝金山神社