2023/11/07 旧浦安町役場跡碑



浦安町役場跡

 ここは、昭和四十九年(1974)まで「浦安村(町)役場」の庁舎があったところです。
 江戸時代、ここには堀江村の郷蔵(ごうぐら)(年貢米を貯蔵する倉庫)がありました。 明治六年(1873)に学制(我が国初の学校制度を定めた教育法令)が施行されると、堀江村の大塚亮平は、この郷蔵だった建物を改造し、浦安で最初の小学校である 「堀江小学校(のちに浦安尋常小学校分校)」をここに創設しました。
 明治二十二年(1889)、堀江村・猫実村・当代島村の三ヶ村が合併して、「浦安村」が誕生しました。 合併後すぐに役場庁舎を建設することはできなかったので、しばらくは猫実のある民家を借り受けて、村の行政は行われていました。 明治二十七年(1894)、浦安尋常小学校の校舎が描実に新築され、学校がそちらへ統合して建物が空いたため、ここに浦安村役場を設けることになりました。 土地は、堀江村の新井甚左衛門外六十七名の共有地だったものが、三ヶ村の合併後、浦安村に寄付されたものです。
 その後、建物の老朽化により、新しい役場の建設計画が進み、明治四十四年(1911)、この地に浦安町役場が建てられました。 瓦葺平屋建て・和洋折衷造りの当時としては極めてモダンな建物で、「浦安には過ぎたるもの」と言われることもあったそうです。 町役場の隣には、漁業協同組合の事務所も開設され浦安の政治・経済の中心として、この地は栄えていました。
 昭和四十年代に入ると、海面埋め立てによって町域が拡大。人口も増加し、この庁舎では行政事務の増大に応じることが難しくなったため、旧市街地と埋立地との接点にあたる「猫実一丁目一番一号」に、新庁舎が建設され、昭和四十九年十一月一日から業務が開始されました。
 漁業権放棄によって、漁業協同組合は解散となり、町の中心地であったこの地の面影も次第にわれ、境川の流れを残すのみとなりました。



 かつて、旧浦安町役場に隣接したこの場所に、樹齢二百年以上、高さ8m、幹の周囲2m、枝の広がりは10mにも及ぶ大きな松がありました。
 水面をはうように伸びた下枝は、鳳凰が翼を広げているように見え、特に対岸の猫実からの眺めは見事なものでした。ここを通る人は、足を止めてこの大きな松に見とれ、感嘆したともいわれています。
 しかし、漁師町浦安のシンボル的な名木も、昭和十五年(1940)に浦安橋が開通し、町内の交通量が増えた頃から、次第に木の根のいたみが進み、昭和十七年(1942)に枯れてしまいました。
 平成十年(1998)に発見された大松の幹の一部が、郷土博物館の屋外展示場「天ぷら屋(天鉄)」に展示してあります。







 ここ浦安町堀江古田四三六番の 一の地は 明治二十八年四月五日 浦安村以大正時代を経て 昭和 四十九年十月三十一日まで浦安役場があった所です
この銅板写真の役場庁舎は明治四十四年二月二十日に完成し 今の六階建ての庁舎に移転するまで使用していた古い庁舎で 当時としては極めてモダンな建物で 瓦葺 平家和洋折衷造りで 浦安町の自慢の一つでありました またこの位置は豊かで清らかな江戸川の流れ込む境川に沿って 役場のほか 漁業組合 罐詰工場 貝むき場などが軒をならべ 魚貝や海苔を満載した舟の櫓耀のきしみは時代の移りと共にエンジンの響と変っていきました
 そしてこの七十余年の長い間汐の香に育まれて 村政から町政へと自治の花が咲き続けてきた由緒ある所です
 今ここに往時を偲び碑を建て記念とします





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