2018/09/20 奥戸・四つ木散歩 05 白髭神社児童遊園/四つ木白髭神社/歩道橋/キャプテン翼像/曳舟の井/曳舟川の由来/四つ木めだかの小道

まだまだ平和橋通りを北上。
通りの西側、荒川とはさまれた場所を散策する。




白髭神社児童遊園

前の日記、葛飾警察署のすぐ近く。



公園脇の道路にも「暗渠サイン」




◆四つ木白髭神社



境内社



地蔵尊



境内社



龍王尾神



境内社



境内社



鳥居










◆歩道橋

どこにも歩道橋の名前が書いてなかった。



曇りガラスだった。
写真を撮ってみたけど・・・・・。









キャプテン翼

上の歩道橋は、先ほどのもの。
このあたりにこのあとの史跡がまとまっている。
キャプテン翼像/曳舟の井/曳舟川の由来/四つ木めだかの小道
やはり「暗渠サイン」があるが、四つ木めだかの小道に繋がっているようだ。



キャプテン翼
そういえば、立石からそんなに遠くない場所だった・・・。




曳舟の井

調べてもわからなかった・・・・。




曳舟川(ひきふねがわ)の由来

 曳舟川は、江戸幕府が明暦三年(1657)の大火ののち、開発に着手した本所・深川方面の新市街地へ、飲料水を供給する目的で開削された水路です。成立は万治二年(1659)といわれ、亀有上水あるいは、本所上水・小梅上水とも呼ばれました。水源は瓦曽根溜井(かわらそねためい)(埼玉県越谷市)で、亀有に入ってからは東側に中井堀を分水し、四つ木付近までは二条の水路が平行して流れていました。亀有上水の廃止は享保七年(1722)のことで、小梅より南の水路は埋め立てられましたが、上流部はそのまま用水として残され、古上水堀と称されました。
 上水の廃水後、篠原村(現四つ木)から亀有村間の二八町(約3km)の水路を利用して「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上から長い綱で肩にかけて引くことが始まり、「曳舟川」と呼ばれるようになりました。
 帝釈天詣や水戸街道に出る旅人が利用した曳舟は江戸東郊の風物として人気を呼び、多くの紀行文や、初代歌川(安藤)広重の「名所江戸百景」などに情景が描かれています。   




◆四つ木めだかの小道






続く。