2021/11/03 平井・大島散歩 03 元佐倉道跡道標/首都高速7号小松川線/大島7丁目公園/UR大島七丁目/旧三大小記念公園/春の湯/東大島神社

首都高速7号小松川線の高架をくぐった後は細い路地に入り南西へ進む。




◆元佐倉道跡道標


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首都高速7号小松川

こちらをくぐって道路の反対側(南側)へ。


ちかくにあった地図










◆大島7丁目公園










◆UR大島七丁目










◆旧三大小記念公園










◆春の湯

銭湯♪











東大島神社



当社は天照皇大神、牛島大神、稲荷大神を奉斎し、永平神社、子安神社、小名木神社、南本所牛島神社、北本所牛島神社の五社を合祀し、大島町東部総鎮守なるをもって社名を東大島神社と定め、昭和24年(1949)11月15日に創立せる。
合併の五社は各々古き由緒をもち、五穀豊穣郷土安泰の産土神として氏子の深く崇敬せるところなりしが、昭和20年(1945)3月9日夜半の戦禍をうけ社殿その他尽く烏有に帰す同時に氏子地域の一切も亦灰燼と化し一望の廃墟となる。この無惨なる焼土の中に、住民復興の意欲を燃やしその努力は年と共に実り昭和23年(1948)に至り、大島青年会の発議により尚一層の繁栄と発展を祈念し、復興祭が催されこれが機縁となり、神社再建の声おこる。しかし五社それぞれの再建は容易ならずこれを合併し荘厳なる神社の建設を望む氏子有志の熱意により各社の総代、世話人は数次の会合を重ね、牛島神社宮司春田健一氏並に猿江神社宮司神保鑒一氏の協力を得て地元発展のため無条件合併す。翌昭和24年(1949)初春建設奉賛会設立され同昭和24年(1949)11月新たに境内地六百八坪餘を購入昭和27年(1952)社殿を造営、昭和31年(1956)社務所竣工等着々整備され同昭和31年(1956)4月宮司内海利彦氏就任せる。
ここに創立十周年を迎え、合併の五社の所在地をしるし、創立尽せし人々の名を刻み当社の由来と共に長く後世に伝う。
無各社 永平神社    江東区大島町7丁目219番地
無各社 子安神社    江東区大島町8丁目317番地 
無各社 小名木神社   江東区大島町8丁目121番地
無各社 南本所牛島神社 江東区大島町7丁目843番地
無各社 北本所牛島神社 江東区大島町7丁目460番地


庚申塔/水神宮石祠


六角石塚/豊栄社石祠


四石祀 八祭神


力石


東大島児童遊園

境内の一部が公園になっていた。


鳥居










続く。