2024/12/21 明治大学野球部島岡球場記念碑

参考
明大野球部グラウンド(島岡球場)移転




明治大学野球部 「島岡球場」跡地
1952年(昭和27年)、 当時の助監督、 島岡吉郎氏が明治大学野球部監督に就任する。 翌年の1953年に東京六大学秋季リーグ戦で優勝を果たし、戦後初の天皇杯を、明治大学にもたらした。
続く 1954 年春季リーグ戦を連覇し、 1955年の春季リーグ戦も制した。

「島岡球場」 は、 島岡吉郎監督が地元の地主たちを連日訪れ説伏せて造ったグラウンドで、 球場の広さ、 方角ともに、 学生野球の聖地神宮球場に合わせて造られたといわれる。
日頃から神宮=リーグ戦を意識してプレーさせようという、 島岡監督の執念の結晶であったといわれ、1961年代田橋から移転してきた。
その功績を讃え 「島岡球場」と命名された。

当時ナインの高田繁氏は1964年秋から7シーズン連続のベストナイン、そして、1965年には首位打者の輝かしい記録を残し、 1966 年は星野仙一氏が史上 14 人目のノーヒットノーランを達成した。
また、1983年には広沢克己氏が史上2人目の春 秋連続首位打者の快挙を成し遂げた。

1989 年に島岡吉郎総監督、 別府隆彦監督の新布陣が発足した後、 東京六大学リーグ戦優勝 15回 全日本大学野球選手権優勝5回、明治神宮野球大会優勝2回、日米野球選手権大会優勝2回という大きな偉業を残し、同年4月、 島岡吉郎氏 (享年77才)は帰らぬ人となる。
別府監督の計らいで、島岡吉郎氏が最も愛した 「島岡球場」で、初の球場葬が営まれた。

その後、別府監督のもと、1992年~96年、明治大学野球部は5年連続で春、又は秋のリーグ戦優勝という輝かしい功績を残した。

2006年10月、 伝統と歴史ある 「島岡球場」は惜しまれつつ45年間の幕を閉じた。

新球場「島岡ボールパーク」は東京都府中市に、「島岡球場」の約25倍にあたる約7万5000平方メートルの土地に、 硬式野球場、 軟式野球場、室内練習場、 120 人が滞在できる合宿所を備え建設された。












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