前のページからの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2025/02/26/193000

金井原古戦場(かないはらこせんじょう)は、南北朝時代に起こった武蔵野合戦の戦場のひとつで、北朝の足利尊氏と南朝の新田義興(よしおき)・義宗(よしむね)兄弟の軍勢が激突した場所です。
室町幕府の内部抗争に端を発した観応の擾乱の最中、観応二年(正平六年) (1351)に北朝の足利尊氏は、対立していた弟の直義を追討するため、南朝に降伏する形で講和する「正平一統」を行いましたが、翌年には南朝方の京都への進攻を機に、この講和は破綻します。時を同じくして、新田義貞の子、義興・義宗兄弟が、後醍醐天皇の皇子宗良親王を奉じて、関東で挙兵します。観応三年(正平七年)(1352)閏二月二〇日、新田兄弟は人見原(府中市)から金井原にかけての一帯で尊氏の軍勢と戦い、義宗が尊氏を打ち破ります。この時、尊氏は石浜(台東区)まで敗走しました。 この金井原の地が、現在の小金井市前原町付近と考えられています。
昭和三四年、小金井市により、霊園通りと小金井街道の交差点に「史蹟 金井原古戦場」碑が建立されました。
◆前原坂

坂上。
◆西念寺

門が閉まっていたので外からお参り。
◆金蔵院のケヤキとムクノキ


金蔵院境内のケヤキ(左側)とムクノキ(右側)は、樹形や樹皮の特徴からそれぞれ樹齡三百年以上を経たものと思われ、幹囲・樹高とも市内では有数のものです。
ケヤキはニレ科の落葉高木で、古くから防風・建築用材等として屋敷の周りに植えられました。
ムクノキもニレ科の落葉高木で、屋敷林によく見られます。秋には卵状球形の実を結び、熟すと黒く甘くなります。葉の表面がザラザラしており、漆器や鼈甲等の表面研磨にも使われました。
続く。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※














