2025/03/31 桜巡り 04 大日坂/小日向児童遊園/拓殖大学/大塚ゆかりの地/丸の内線高架/播磨坂/茗荷谷駅

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◆大日坂



 「……坂のなかばに大日の堂あればかくよべり。」(改撰江戸志)
 この「大日堂、とは寛文年中(1661〜73)に創建された天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。
 坂名はこのことに由来するが、別名「八幡坂」については現在小日向神社に合祀されている田中八幡神社があったことによる。
 この一円は寺町の感のする所である。
   この町に遊びくらして三年居き
     寺の墓やぶ深くなりたり  折口信夫(筆名・釈超空1887-1953)



坂下方向。



坂上方向。




坂上


牧歌



御正 進 作
坂の途中にあった。








◆小日向児童遊園








拓殖大学

拓殖大学は、台湾の開拓を実施する人材を育成する教育機関として開学した[1](拓殖は移住して原野を拓き民衆を殖てるの意)。初年度は独立した校舎を持たず、九段上の和仏法律学校(現・法政大学)の一部を借用していた。1901年には、現在の文京キャンパスである小石川区茗荷谷町へ移転している。
第二次世界大戦前にアジア開拓など外地に携わる人材育成を目的としていたことから現在でも国際開発の人材育成を主力としている。 』









◆大塚ゆかりの地



 ここ貞静学園の場所には、かつて“塚”があった。
 『改撰江戸志』には、この塚について地元の説に「大塚通の南裏、小普請神尾豊後守組森川鉾太郎(こぶしんかみおぶんごのかみくみもりかわほこたろう)屋敷内に塚あり、高さ五尺(約1.5m)斗(ばかり)、上に大樹の榎の朽木五尺斗(ばかり)残れり、是大塚なりと云、塚の脇に稲荷あり、大塚稲荷といふ」と記されている。
 塚は昭和の初めに崩され、稲荷も昭和20年の戦災で焼失した。この大塚は古くから古墳であったとか、中世の塚や物見やぐらの跡だったとも言われてきた。
 貞静学園の改築に伴い、平成12年の発掘調査で、区内で初めて5〜6世紀代の竪穴住居跡が確認された。文京区の古墳時代を知るうえで、貴重な歴史資料といえる。
 今は失われた塚も“大塚”という町名として残っている。








◆丸の内線高架








播磨坂












茗荷谷駅