2025/05/18 大田区立郷土博物館


大田区立郷土博物館(おおたくりつきょうどしりょうかん)は、東京都大田区の考古、歴史、民俗などの資料を保存、展示する人文科学系の博物館である[1]。 2021年(令和3年)4月1日にリニューアルオープンした。敷地は、彫刻家の佐藤玄々(朝山)の住まいとアトリエの跡地である。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E9%83%B7%E5%9C%9F%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8

以前訪れたことがある。
中の様子などはそちらを。
2016/05/22 part2 大田区立郷土博物館/湯殿神社 - ovanの社会科見学

以前来たときは写真が撮れたけど、ほとんど撮影禁止になっていた。




馬込は昔から九十九谷と呼ばれ、丘と谷が複雑に入り組む起伏に富んだ地です。
周囲は大根畑と雑木林、 都会からも離れたこの九十九谷に尾崎士郎宇野千代夫婦やって来たのは大正12年のこと。
面倒見がよく親分肌の士郎の誘いに関東大震災直後の住宅難も手伝って、多くの文士が誘いにのり、以前から住んでいた画家や作家も加わって、 馬込はにわかに騒がしくなってきました。
これがのちに 「馬込文士村」といわれるもとになりました。
互いの家を行き交い、酒を酌み交わしては文学談義に花を咲かせ、 麻雀やダンスに興じてはハメを外し、 果ては離婚騒動までもち上がった文士村。 文学的に転換期を迎え、時代の間で漫然とした不安にかられながら、次代の文学を模索する彼らの人間味あふれる生き生きした姿がそこにはありました。
今では残っている旧宅もわずかですが、文士たちが通っていた九十九谷の坂を歩きながら当時の面影にひたってみてはいかがでしょうか。

山王草堂記念館
日本最初の総合雑誌国民新聞」を創刊したジャーナリスト徳富蘇峰の旧宅の一部を改築・保存したものです。当時の書斎や寝室を復元しているほか、原稿の一部を展示しています。

龍子記念館
大正・昭和初期の日本画壇の巨匠川端龍子の作品一五〇点余りを収蔵・公開しています。龍子が活躍したこの時期、馬込周辺には佐藤朝山や真野紀太郎ほか多くの画家や芸術家が住んでおり、お互いに交流があり影響しあったようです。

大田区立郷土博物館
大田区の歴史・文化遺産を収蔵している同館では、馬込周辺に住んでいた文士や画家を紹介するコーナーを設けています。そのほかにも、大田区内から出土した石器・土器などの遺物や、大森の特産である「海苔」に関する資料なども数多く展示しており、広く郷土の歴史について学習することができます。

大田区立馬込図書館
図書館では、「馬込文士村コーナー」を設けて、この地域にゆかりのある人物の作品や、文士村に関する資料を収集しています。
現在では絶版になっている本や手に入りにくい作品も多く揃っており、馬込文士村についての文献を実際に手にしてみられるようになっています。



馬込文士村散歩は、浜川橋より大森駅を経て龍子記念館までの約5.1kmのみちのりです。 大井水神、品川歴史館、 大森貝塚などの史跡と、多くの文士、芸術家たちが住んだ 「馬込文士村」と呼ばれる地域をめぐります。

馬込と文豪
馬込は九十九谷と呼ばれ、丘と谷が複雑に入り組む起伏に富んだ地です。 かつては大根畑と雑木林の広がる静かな田園のまちでした。 この地に大正12年(1923)、尾崎士郎宇野千代が新居を構え、その後、 萩原朔太郎川端康成室生犀星山本周五郎、といった作家たちが移り住みました。以前から住んでいた作家や画家たちも加わって、一時は80人以上の文士たちが住んでおり、互の家を行き交い、交流を深めたといいます。この当時の春子のちになって「馬込文士村」と呼ぶようになりました。







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https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/index.html







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