前の白玉稲荷神社からは阿弥陀堂まで北上。
そこからは東へ向かいまた京急のガードをくぐる。
◆阿弥陀堂
◆東京消防庁大井消防署
坂上。
標識
この「木芽の坂」という名は、若葉の頃が美しかったためにつけられたといわれている。
江戸時代には、この坂の北側に越前国(福井県)鯖江藩間部家(まなべけ)下屋敷があった。坂の南側は崖になっており、下には泉があったという。
◆東大井歩道橋
下は第一京浜。
◆山内豊信(容堂)墓
山內豊信は容堂と号した。文政十年 (1827) に分家の山内豊著(とよあきら)の長子として生まれ、嘉永元年(1848)に宗家を継いで第十五代
の土佐国高知藩主となり、人材を登用して藩政の刷新に努めた。一方、国政についてもいろいろと論議し、 策を建てて多難な幕末期の幕政に大きな彩響を与えた。
進歩的で強力な言動は幕閣に恐れを抱かれ、1時、大井村の下屋敷に蟄居(ちっきょ)させられたが、文久二年(1862)に再び政治の場に復し、
大政奉還をはじめ幕府と朝廷の間の斡旋に力を尽くした。明治元年(1868)に維新後の新政府の内国事務総長となったが、翌年引退し、明治五年に四十五歳の若さで亡くなった。
遺言によって大井村の下総山(土佐山) と呼ばれていた現地に葬られた。
他のお墓
続く。