2020/09/22 赤坂散歩 05 報土寺/椿大神社東京講本部/種徳寺/専福寺/道教寺/稲荷坂

前のエリアから細い道を通って北上。



◆報土寺


雷電為右衛門の墓

 明和四年(1767)信州(長野県)小諸在大石村に生まれた。生まれながらにして、創建、強力であったが、顔容はおだやか、性質も義理がたかったといわれる。
 天明四年(1784)年寄浦風林右衛門に弟子入りし、寛政二年(1790)から引退までの二十二年間のうち大関(当時の最高位)の地位を保つこと、三十三場所、二百五十勝十敗の大業績をのこした。
 雲州(島根県)松江の松平侯の抱え力士であったが引退後も相撲頭に任ぜられている。文化十一年(1814)当寺に鐘を寄附したが異形であったのと、寺院、鐘楼新造の禁令にふれて取りこわされた。
 文政八年(1825)江戸で歿した。


伊部香山墓

 井部香山(1794-1852)は江戸時代後期の儒学者(朱子学)です。名は鳴と言います。越後旭村に井部孝節の第三子として生まれます。香山の号は故郷の妙高山に因んだものです。二七歳の時に江戸に出て葛西因是に学び養子にもなりますが、その後独立し井部姓にもどります。築地の軽子橋に塾を開き、岸和田藩主岡部氏、飯山藩主本多氏など、香山に学ぶものが多くありました。天保一四年(1843)には老中水野忠邦に招かれ浜松藩の客儒となり、門人は藩士三千人に及んだといわれます。著書に「大学講義二巻」などがあります。


鐘楼


報土寺 築地塀 (練塀)

 報土寺は、慶長十九年(1614)に、赤坂一ツ木(現赤坂二丁目)に創建され、幕府の用地取り上げにより安永九年(1780)に三分坂下の現在地に移転してきました。この築地塀はこのころに造られたものといわれています。築地塀とは、土を突固め、上に屋根をかけた土塀で、宮殿・社寺・邸宅に用いられる塀です。塀のなかに瓦を横に並べて入れた土塀を特に「練塀」といいます。
 報土寺の練塀は、坂の多い港区の中でも特に急坂として知られる「三分坂」に沿って造られており、塀が弓なりになっている珍しいものです。練塀は区内では残されているものが少なく、江戸の寺院の姿を今に伝える貴重な建造物といえます。


山門






椿大神社東京講本部

google mapのマークはこの建物を示しているね。
ビル1室がそうなのかな?
テナント一覧みても無かったけど。。。






◆種徳寺








◆専福寺








道教







稲荷坂

阪上。



坂下。
左側に次の日記で出てくる「末廣稲荷神社」があったので、坂名はここからであろう。
坂の標識などは建っていなかった。






続く。