2022/10/19 稲荷鬼王神社


日本橋宝田稲荷神社からこちらへ移動。
こちらでも「べったら市」をやっていることはつい最近知った。
お店が一つ出ていたが、写真を撮らなかったなあ・・・。




日頃より稲荷鬼王神社にご崇敬の想いをいただき感謝申し上げます。
稲荷鬼王神社境内の開運恵比寿神社の大祭が、 十月十九日・二十日に鬼王神社境内にて実施されます。 金運のつく縁起物「べったら」を中心とする漬物店が出店します。漬け物販売は両日正午から売り切れ次第終了です。
皆様、御参拝にお越し下さい。 なお、 祭典は二十日午後七時に斎行されます。
恵比寿神社の運営は、地元や氏子とは関わりなく奉賛会の方々を中心に行なっています。
皆様、奉賛会に入会をされませんか。奉賛会会費は年会費二千円です。
入会を頂ける方は、今月から来月十一月十日までに神社に会費を御持参、又は郵送をお願いします。会費を持参いただいた方にはその場で御神札・授与品をお渡しします。郵送でお送りいただいた方には御神札・授与品を郵送いたします。





◇◇ 江戸時代より伝わる稲荷鬼王神社の干支由来 ◇◇
 残念な事に多くの社寺は明治時代に、江戸時代各社に伝わっていた筈の独自の干支由来を迷信として廃止した為、干支の縁起物がお土産屋で販売されているのと変わらない授与のされ方をしています。
 当社に伝わる干支由来は、江戸時代に当社が寺子屋を開いていた事や神仏習合の関係から神道・仏教・儒教陰陽道に関わる話や学問的な話、道徳的な話、言葉遊びの様な話で構成されています。
 ☆社伝ゆえ本などに書かれている干支の話と違う事もあります。
 ☆代々の宮司が、その時々に付け足してきた為、矛盾や話の整理がされていない部分もあります。
 ☆稲荷鬼王神社では江戸時代より当社に伝わる干支の御神徳、御利益を干支の縁起物は無論の事、御神札やお守り等の全ての授与品に込めております。
当社では干支の御利益をより得るための干支祈願(新年祈願)は年間を通して行っています。
社務所にお申し込み下さい。 夜間でも行います。
授与品や干支祈願は干支の年男・年女だけでなく、今年をより良い年にしたい方の為のものです。

今年の干支『寅』
「寅年」は大きな変化のある年、政治が話題になる年ともいわれています。
「寅」という字には「つつしむ」「たすける」という意味があります。 「寅」の字の形は「両手で曲がった矢の柄を正す」という形に家をあらわす「うかんむり」がついた字です。「曲がった物事を改める」という変化の意味の字の上に家をあらわす部首があるゆえ、良き変化を得るためには、まず自らの居ずまいを正す事が求められます。 「矢」は誓いを立てる時に使用されたり、願いを託すものです。曲がった矢(誓いや願い)を直すのに力を入れなければ矢は直らず、力を入れすぎれば折れてしまいます。
「寅」の時刻は夜明け前の暗い時から日の出の明るくなる時間であり、月でいうと旧暦の一月にあたり、万物の生成の始まる時期です。
干支の動物は「虎」です。 「虎」は四神という霊獣の中では「白虎」といい、「白虎」は「西を守り、道にありて、四季の内、恵みの秋を守護する」と言われています。 中国では風は「虎」に従うと言われ、勇猛と威厳の象徴でもありました。 『虎は千里を走り千里を帰る』といわれ、その精力さと王者の風格を貴ばれました。 「虎」は体中全て、骨までも漢方薬として重用されてきました。 俗に鬼のパンツは 「虎」の毛皮で出来ているといわれる事から下半身の病やケガ、ひいては体全体の病気やケガから身を守る力があるといわれます。 又、 「虎」の毛皮の色は黄色で、この黄色は太陽をあらわし、生命の力強さをあらわす色でもあります。 大切な物を「虎の子」といいます。 虎は、お金をもたらす象徴でもあります。 『虎は千里を走り千里を帰る』事から交通安全、旅行安全の神徳があります。 智恵話でいう「虎の子渡し」に見られるように虎は母性愛と賢さの象徴でもあります。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ということわざのように、成功を得るためには危険を冒すことが必用なことがあります。しかし、気をつけないと「虎視眈々」と悪人に狙われる事にもなりますので用心が必要です。
「とら」は「とらえる」に通じ「心」「望み」「福」「想い人」をとらえるべく縁結び 心願成就 商売繁盛をもたらします。 「虎」のもたらす風が悪しきことを吹き去り家内・社内安全 厄除け 身体健全をもたらします。
寅年生まれの人は行動力と新しい物事を積極的に取り入れる心の幅と勇気を持つ方が多いと言われていますが、誇りの高さや短気や急ぎ過ぎ
による失敗が起きる人もいます。 本来は家族思い、仲間思いなのに、独りよがりな行動をすると、虎独(このような漢字ありませんが)、こどく、
になってしまうので注意が必要です。
以上のことから干支『寅』の御利益は 除災招福 心願成就 金運招来 縁結び 身体健全 病気平癒です。
道の災いから守る(交通安全) 旅行安全 良き変化をもたらす稲荷鬼王神社では干支の縁起物は勿論のこと、御神札・お守り・その他全ての授与品に今年の干『寅』の御神徳・御利益が込められております。
正月だけでなく年間を通して社務所にてお求め下さい。
当社稲荷鬼王神社の大神様と干支の神像「寅」に、誓いを立てれば、その誓いがかなえられる様にすべく、誓いをたてし人の心を強くし除災招福、心願成就をもたらします。
神社社殿に干支『寅 とら』の木彫りのご神像がおわします。ご祈祷の方は撫でて、干支の御利益をお受けください。 干支祈願をはじめ諸祈願申し込みは社務所受付にて ご祈祷料は五000円より承っています。





稻荷鬼王神社御祭神
【お稲荷様】
宇賀能御魂命(新宿の厄除け稲荷)  生成発展 商売繁昌 家内安全 子孫繁栄 福招きの神様

【鬼王様 全国一社福授け】
月夜見命     人の運勢を司りツキを与えてくれる神様
大物主命      (別名「大黒天」とも呼ばれています) 商売繁昌 心願成就 病気平癒 身体健全 縁結びの神様
天手力男命    開運 武運長久の神様

稻荷鬼王神社由緒
 「鬼」というと私たちはとかく悪いイメージを持ちがちですが、古来、「鬼」は神であり「力」の象徴でもありました。また、「鬼は悪慮を祓うと」 いわれ、すべての災禍を祓う力があります。その為、鬼を祀ったり、鬼の名のつく社寺は全国に幾つもあります。しかし、その「鬼」の王様と同じ力を持つという意味で「鬼王」という名が付けられた社寺は全国で当社のみです。
 この為、江戸時代は近在の農家の人達だけでなく、江戸から武士や商人、職人と多くの人が参拝にまいりました。現在では、地図でみると新宿区の中央にある唯一の神社としても注目を集め、全国から当社の御神徳を得ようとする方々が詣でられております。
授、この全国一社福授けの稲荷鬼王神社の由緒は次のとおりです。

 古来より、大久保村の聖地とされたこの地に、承応二年(1653年)、当所の氏神として稲荷神社が建てられました。宝暦二年(1752年)、紀州熊野より鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を当地の百姓 田中清右衛門が旅先での病気平癒への感謝から勧請し、天保二年(1831年) 稲荷神社と合祀し、稲荷鬼王神社となりました。それ故、当社の社紋は稲荷紋と巴紋
の二つがあるのです。 紀州熊野において鬼王権現は現存せず、当社はそれ故、全国一社福授けの御名があります。 この鬼王権現は、湿疹・腫物をはじめ諸病一切に豆腐を献納し、治るまで本人或いは代理の者が豆腐を断ち、当社で授与される「撫で守り」で患部を、祈りつつ撫でれば必ず平癒するといわれ、明治十五年頃まで社前の豆腐商数件が、この豆腐のみにて日々の家計を営んでいたといわれたほどでした。今日でも広く信仰されています。この信仰について江戸時代の『新編武蔵風土記』だけでなく、時代は下って文豪永井荷風も書き記しております。なお、当社では『鬼王様』の御名にちなみ、節分においては鬼を春の神として『福は内、鬼は内』を唱えます。

【追記】明治時代に旧大久保村に散在していた、火の神である火産霊神の祠や、盗難除けの神などの大久保村の土俗の神々が合祀されました。大祭は九月十八日で、神輿はその前後の日曜・祝日に出御します。この宮神輿は鬼面の彫られた珍しいお神輿です。

【追記】江戸時代に既に特異な『鬼王』という名の神社を勧請するのに地元に抵抗感が無かったのは、この土地が〜文書では残っていませんが~平将門公(幼名 鬼王丸)に所縁があったのではないかとも言われています。

境內神社
三島神社 御祭神名 事代主命  別名 開運恵比寿
 文化年間に松平出雲守邸内より出現した神像で御後室の居間に安置してあったものを、松平氏より松平家の祈願所である二尊院(東大久保)に奉納されました。当時、大久保村の社寺の多くを、代々稲荷鬼王神社社家大久保家が神職或いは別当職として守っており、この二尊院も大久保家が代々別当職を兼ねておりました。しかし、嘉永六年十月に同院が火災にあい、当時の別当大久保家十二世政光が、その恵比寿神を大久保家に還し、大久保家十四世義道が稲荷鬼王神社境内に奉斎し、今日に至っています。
 この恵比寿神は、昭和の初期に新宿山の手七福神の一つに数えられ、現在も七福神巡りで賑わっております。十月十九日(宵宮)十月二十日大祭)は新宿ゑびす祭として境内で金運がつく縁起物の「べったら店」が出店されます。

【御神徳】   開運 商売繁昌 豊漁人招き
【 御神徳歌】 「うみの数の宝の大久保の恵比寿大神守り給えや」
【その他】   参道にある『かえる石』(向かって右、手水(水琴窟)の反対側)に水をかけ、恵比寿様にお参り後、 『かえる石』をさすると、金運がかえる、良き縁がかえる、という信仰があります。

浅間神社 御祭神名 木花開夜昆賣命別名西大久保の厄除け富士ともいわれています。
 古より当地にあった浅間神社は、明治二十七年、稲荷鬼王神社に合祀され、昭和五年に西大久保の厄除け富士として復興されるこに入り、霊峰不二の石をはじめ全国から銘石をとりよせ建立されました。そのつくりは境内の自然地を利用せず、全てとりよせた石で造り上げた為、非常に特色のある浅間神社(富士山)でした。しかし、戦中、帝都空襲の為、石の基盤がゆるまり、縮小・移動を繰り返した結果、現在の形に落ち着きました。一合目から四合目・五合目から頂上までと参道を挟んで二つに分かれた形になることによって、参道そのものが富士の胎内に通ずる道となっております。この参道から頂上の社をお参りすることは、霊峰富士山に籠ってお参りするのと同じご利益がございます。





恵比寿祭り 十月十九日、二十日 両日 正午から
 昔から鬼王神社では開運・商売繁盛の神様、恵比寿様のお祭りで漬物の『べったら』を買うと『べったら』の粘りが金運を授け、食べ物を口にすると幸せがお腹に貯まり、衣類をもとめると福が身につき、鉢植えの花を買うと幸福が根付く、と言われてきました。
その故事にちなみ、べったら屋 (漬物屋) ・露店・バザーの出店があります。

☆『昭和の時代展』 開催、憶えていますか懐かしい昭和の時代を!
 境内数箇所の掲示板に懐かしい昭和の時代の新宿の写真や絵地図、世相や風俗を感じる広告、その他多数の資料が展示されています。 昭和の時代を知ってる人も知らない人も新しい発見が!
☆恵比寿祭り縁起物 祭りの日か一月或いは自分の誕生日に買うと福をより良く招く「福寄せ」大小、恵比寿祭り特製の御神札、恵比寿土鈴、社務所でお求め下さい。
☆両日のみ、希望者に恵比寿大黒祈祷実施。詳細および申し込みは社務所に。





新宿山ノ手七福神の内の一社 開運恵比寿神社(三島神社)の『かえる石』
恵比寿様をお参りしてから手水(上の写真・向かって左)から柄杓で、『かえる石』(上の写真・かって右)に水を掛け、次に『かえる石』をすりながら、心の中で次の言葉を三度唱
ます。
毎日の無事を願う人、或いは交通安全や行安全を願う人は『無事かえる』
運を願う人は『良き運にかえる』
金運を願う人は『金かえる』
縁結びを願う人は『想い人の心が自分にふりかえる』『待ち人かえる』
健康を願う人は『若がえる』
あらゆる願いを 『かなえる』
その後もう一度、恵比寿様にお参りします

毎年十月十九日、二十日は新宿ゑびす祭
昔より当社ではこの日に『べったら』をもとめると金運がつき、食べ物をもとめると福がお腹にたまり、鉢植えの花は福が根付くと言われています。
その為、両日正午より境内に『べったら店』が出店します。



稲荷鬼王神社の天水琴

水琴窟の由来は小堀遠州の考えた、つくばいの排水装置、洞水門と言われています。
後に江戸期の庭師が水琴窟の名で音を楽しむ事を兼ねた装置として各地に作りましたが、残念な事に時代と共に忘れられた存在となりました。当社では往時の雅をしのび、
平成十六年十一月三日に水琴窟師 田村光氏により雨水を利用した水琴窟、天水琴を建設致しました。
大神様のおわします社殿の屋根からの雨水を大きな甕に溜め、少しずつ水琴窟に注いで、音を奏でる仕掛けになっています。耳を澄ますと、地中から弦を弾く様な、かすかな響きが聴こえてきます。
滴が作りだす、可憐で、聴くたびに不規則に変化する余韻が耳の奥にしみこみ人の心をつつみこみます。
竹筒に耳を近づけて聴いてみて下さい。
尚、つくばいの水は雨水ですので飲めません。




恵比寿神社




鬼王神社の水鉢



 文政年間(1818~1829)の頃制作されたもので、うずくまった姿の鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式で、区内に存在する水鉢の中でも特筆すべきものである。
 水鉢の左脇には、区内の旗本屋敷にまつわる伝説を記した石碑があり、これによると、
 「この水鉢は文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、毎夜井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜刀で切りつけた。その後家人に病災が頻繁に起こったので、天保四年(1833)当社に寄進された。
 台石の鬼の肩辺にはその時の刀の痕跡が残っている・・・・」とある。
 この水鉢は、宝1m余、安山岩でできている。




昭和の新宿写真展







写真展は期間限定。
前にもこの神社にはお参りしたことがある。

2017/07/11 メトロ1日券の旅 03 東新宿/島崎藤村旧居跡/稲荷鬼王神社/小泉八雲終焉の地/光線研究所 - ovanの社会科見学
2018/12/11 東新宿散歩 08 稲荷鬼王神社/小泉八雲終焉の地/小泉八雲記念公園/第三大久保ガード/BrightShoppingStreat/第二大久保ガード - ovanの社会科見学




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