2022/11/27 庚申塔・源兵衛子育地蔵




庚申塔

ほかに馬頭観世音塔があった。





◆彰忠碑(しょうちゅうひ)





◆源兵衛子育地蔵尊



 この地蔵尊がお立ちになっている付近は、元祿の末頃に源兵衛という人が来て、鉄砲玉を作り火薬の番をしながら荒地を開こんしましたところ同心の人々が集まって来て二十八戸から成る新しい村が出来ましたから源兵衛村という名がつけられたと言い伝えられています。
 その後、二・三十年の間に、亡くなられた源兵衛をはじめ、同心縁者の菩提の供養をかねて、功績を記念するために村民の有志者が講中を結集して享保十一年(1726年)にこの地蔵尊を安置いたしました。
 源兵衛村 戸塚町、西早稲田と地名は変わりましたが、地蔵尊のお慈悲心は少しも変わることなく、信する人々の抜苦与楽、子育、商売繁盛、交通安全などの諸願をすべて成就させてくださいます。





◆源兵衛子育地蔵尊/彰忠碑説明版

源兵衛子育地蔵尊の石造物群
旧源兵衛村の地蔵尊で、江戸時代に建立された地蔵尊庚申塔、明治および大正時代に建立された馬頭観音塔、年代不詳の道標などが集められている。

彰忠碑
大正3年に戸塚町兵員慰労義友会が建立した。
日清・日露戦争戸塚村から出征した人々の名を記す。高さ270cmの伊予青石(緑泥片岩)製。





◆蛙さん





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