2023/01/31 いちょう橋(ぎんなん橋、中島飛行機 武蔵製作所 工場引き込み線 橋台跡)


下は玉川上水












◆ぎんなん橋

脇の歩行者専用橋。
線路をイメージしている?






中島飛行機 武蔵製作所 工場引き込み線 橋台跡

武蔵野の戦争の記憶を訪ねて
 現在の都立武蔵野中央公園から市役所あたりまでには、かつて戦前の日本を代表する航空機メーカーであった中島飛行機株式会社武蔵製作所という軍需工場がありました。
 工場は、 昭和13 (1938)年から20 (1945) 年まで稼働し、 零戦や隼などの軍用機のエンジンを生産していました。 この工場への物資輸送のため、 武蔵境駅から工場まで引き込み線が敷設されました。 戦争末期、 工場はアメリカ軍による激しい空襲を受けましたが、 その際、この引き込み線や隣接する境浄水場も被弾しました。
 戦後、昭和26 (1951) 年、 工場跡の一角に「東京スタジアムグリーンパーク野球場」 が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、 引き込み線は敷き直され、 三鷹駅からの国鉄 「武蔵野競技場線」として生まれ変わりました。 しかし、間もなく野球場は閉鎖され、引き込み線も昭和34 (1959)年にになりました。
 その後、 玉川上水から北側は、「グリーンパーク遊歩道」 として、 また南側は 「堀合(ほりあわい) 遊歩道」(三鷹市) として生まれ変わりましたが、 この場所には、コンクリート製の橋台だけが残されました。 平成24 (2012)年、都道の建設に伴い、 橋台の上に 「ぎんなん橋」 が設置されました。
 この橋台跡は、工場への引き込み線の遺構で唯一残った戦争遺跡です。






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