2024/12/14 つつじが丘・吉祥寺散歩 02 石造庚申供養塔/都営中原四丁目アパート/中仙川遊歩道北端/中原遺跡/春清寺/新川あおやぎ公園/稲荷神社

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◆石造庚申供養塔



陰陽五行(いんようごぎょう)思想では、十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の組み合わせで庚申の日には、庚 (かのえ・十干の金の兄)と申(さる 十二支の金気) と二つの金気 (ごんき) が重なり天地に充満するため、人の心が冷酷になりやすい、と考えられていました。
 道教の教えでは、人間の体内には生まれた時から三尸虫(さんしちゅう)という三匹の虫が住んでおり、三尸虫は、宿主が死ぬと身体を抜け出して天に帰れることから、 庚申の日には、寝ている間に三尸虫がはい出して、 閻魔大王(えんまだいおう)に宿主の悪行を報告し、 寿命を縮めてくれと頼む、と言われていました。 このため、 庚申の夜には、三尸虫が出て行かないように、寝ないで夜を明かすという、 庚申講の風習が江戸時代に流行していました。
 庚申の日は60日に一度回ってきます (一年に6~7回)。 庚申講を3年続け、18回に達したら、 それを記念して庚申塔を建てることが多くありました。
 庚申信仰は、日本では9世紀の文献の記録がありますが、 15世紀頃には仏教と結びつき、江戸時代には仏教式の庚申講が広く行われるようになりました。

奉造立所寶塔爲庚申供養也
干時寛文六 (1666) 年丙午十一月吉日
武口玉之口
願主三十三人 中仙川村

 この庚申塔三鷹市域で最も古いもので、青面金剛が像として刻まれる初期のものです。
 青面金剛は、 道教由来で、 庚申講の本尊として祀られることが多い神様です。 右手に剣、左手に索を持ち、 邪鬼を踏みつけています。 三猿のモチーフは、 庚申に申の字がついていることから、 庚申信仰と結びつき、 三尸虫に対して、 見ざる、聞かざる、言わざるのメッセージを託しています。








◆都営中原四丁目アパート









◆中仙川遊歩道北端









◆中原遺跡

現地では説明版など見当たらなかった。





中嶋神社にあった地図には書いてある。
他にもいろんな遺跡があるようだが、おそらく説明版などないだろう。
WEBで調べてもあまり情報が無い。







◆春清寺

別のページで。
2024/12/14 春清寺 - ovanの社会科見学







◆新川あおやぎ公園







◆稲荷神社








続く。
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