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◆みはらし坂・栗山遺跡
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2025/02/06 みはらし坂・栗山遺跡 - ovanの社会科見学
「はけ」とは
野川沿いの崖 (国分寺崖線) 周辺を地域では古くから 「はけ」と呼んでいます。
「はけ」 は何万年も昔、 多摩川の流れが削ってできた地形で、開発されずに自然が残された場所も多く、貴重な動植物の生息場所にもなっています。
「はけ」は湧き水の多い場所です。 その理由は、崖の北側の台地に降った雨水が地面に浸み込み、 南側の低いところから湧き出すからです。
武蔵野段丘面に降った雨は、ローム層(富士山の火山灰) を通り、 じゃりの層 (大昔に多摩川が運んだじゃり)の中に溜ります。 この下のねんど層は水を通しにくいため、水は横に移動し、 国分寺崖線の下で湧き水となって地上に出ます。
この遺跡は、立川段丘面にあり、旧野川の河道である低湿地に囲まれた中洲上に立地しています。
昭和六十一年から六十三年に、野川調節池の工事に先立って発掘調査が実施され、旧石器時代から近世までの遺構・遺物が多数発見されました。
旧石器時代(約一万~三万年前)では、関東ローム層中から石槍・ナイフ形石器等の石器、礫群と呼ばれる調理場の跡が多数出土しました。また、低湿地に堆積した泥炭層中から、氷河期の寒冷気候を示すカラマツトウヒ・チョウセンゴヨウ等の針葉樹や花粉の化石が多数発見され、当時の自然環境を明らかにすることができました。
縄文時代(約二千三百~一万年前)では、草創期早期・後期の遺構や遺物が出土しています。他にも古代(平安時代・中世・近世の遺物も発見されており、野川のほとりに暮らした人々の歴史を物語る貴
重な遺跡です。
観音様
由来などご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
◆美術の森緑地
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続く。
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