2025/02/06 美術の森緑地



美術の森緑地 ここは、大岡昇平の小説「武蔵野夫人」のモデルとなった地として知られる国分寺崖線に位置しこの貴重な自然を残すため、平成2年度東京都市町村樹林地公有化資金の適用を受け保全しています。
洋画家中村研一(日本芸術院会員)が後●●を過ごした地で、建築家佐藤秀三の設計による山荘風の旧宅を「花侵庵」と名付けられた茶室があります。緑地内には東京の名水57選に選ばれた湧き水もあります。
旧宅では、小金井市立はけの森美術館の喫茶棟を営業してます。






◆はけの森美術館







◆旧中村研一邸主屋


旧中村研一郎主屋
旧中村研一郎茶室 (花侵庵(かしんあん))
 近代洋画壇で活躍した中村研一 (1895-1967)の旧宅と茶室です。 中村は、昭和二十年(1945)から小金井のこの地に移り住みます。親交のあった建築家・佐藤秀三 (1897-1978)に建物の設計・施工を依頼し、昭和二十四年のアトリ工竣工に始まり主屋・茶室を段階的に新築していきます。
 昭和三十四年(1959)建設の主屋は、RCラーメン構造の基礎で、上部に木造2階建ての山荘風建築を構えてあるのが特徴です。内部は洋風の暖炉付きの客間兼居間と食堂を吹き抜けのある大空間で設け、現代的な空間構成を取り入れています。
 茶室(花侵庵)は、中村の趣味の空間として、旧主屋の古材を用いて昭和三十五 (1960)年に建てられました。南面に貴人口を設け、北面に床の間、東面に付書院(つけしょいん)風の出窓を付けています。周辺の梅花の香りが茶室へ飛び込んでくることに因み花侵庵と中村が名付けたと言われています。洋風を主体とした主屋と対比的に、茶室は数寄屋意匠をもつ簡素な離れ座敷としての性格を強めています。中村の逝去後、アトリエ跡地に美術館を建設する際に茶室は再配置(曳家)されます。
 二棟は部分的に改築されていますが、全体的に竣工時の外観および柱・梁などの主要部材が良好に保存されています。佐藤が手掛けた二棟の建物は、中村をはじめ当時の文化人のはけにおける住環境が窺える例として貴重です。


旧中村研一郎茶室 (花侵庵(かしんあん)







◆美術の森緑地(東京の名湧水57選)







◆庭園







 この緑地は、大岡昇平の名作「武蔵野夫人」(昭和25年)の舞台になった場所で、小説に描かれた当時の情景を今も変わりなく伝えています。
 国分寺崖線と言う、武蔵野段丘から沖積層低地へ移る斜面地でハケと呼ばれる崖下の砂礫層からは豊かな地下水が湧き出ています。
 たくさんの種類の動植物のすむ、この貴重な自然を未永く保存するため平成2年度東京都区市町村保存樹林地等公有化資金の貸付を受け保存した緑地です。