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◆荒牧遺跡・貫井南大けやき公園


荒牧遺跡
この遺跡は、野川右岸の立川段丘上にあり、昭和四十年と五十二年に発掘調査が行なわれました。
この結果、先土器時代(約1万~三万年前)の石器をはじめ、縄文時代中期(約四千~五千年前)の住居址二軒がみつかりました。このほか中期初め頃の土器片多数とともにニキログラムもある大きな黒耀(こくよう)石(矢じり等に加工する石材)が出土しています。
また、中世末~近世初め頃(約三百~四百年前)の掘建柱の建物址や井戸址とともに、板碑・陶磁器・鉄製品等が出土しました。
◆地蔵尊

◆寛政六年庚申塔


この庚申塔は、江戸時代後期寛政六年(1794)に建てられました。正面に「絶三尸罪」と刻まれ、中国の道教に由来する三尸説をあらわしており、都内でも珍しく、貴重なものです。三尸説とは、庚申の日の夜に人が眠ってしまうと三尸という虫が体から抜け出し、天帝に罪を告げ、その人が死ぬというものです。そこで、庚申の日の夜は、講中の仲間の人々が飲食を共にし、眠らずに一夜を明かしたと伝えられています。
側面に「右小川・すな川道、左こくぶんじ道」という道しるべがあり、台座には「貫井村講中」と刻まれています。
◆都営貫井南町四丁目アパート

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