2025/05/08 江戸東京たてもの園(デ・ラランデ邸)




 デ・ラランデ邸は、 新宿区信濃町にあった西洋式住宅である。 1階部分は明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎が自邸として設計したと伝えられる木造平屋建て 瓦葺き 寄棟屋根下見板張りの洋館であった。 1910年(明治43)頃、 ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、 木造3階建ての住宅として大規模に増築された。 その際、 北尾次郎居住時の1階部分も大改造されている。 スレート葺きのギャンブレル屋根と、下見板張りの外壁が特徴である。 デ・ラランデは、この住宅で、妻と4女 1男の7人家族で生活していたが、 1914年(大正3) 41歳で亡くなった。その後、この住宅の居住者は何度か変わったが、1956年(昭和31) から、乳酸菌飲料カルビスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいた。海雲氏の死後、三島食品工業株式会社の事務所として、1999年 (平成11) まで使用されていた。建物は、デ・ラランデによる大規模な増築が行われたころの姿に復元し、室内は、残された古写真を基にデ・ラランデが住んでいた大正時代初期頃を想定して復元している。




建築年: 1910年(明治43) ころ
復元年: 2013年(平成25)
旧所在地: 東京都新宿区信濃町
構造: 木造3階建て
建築面積: 復元棟187.79㎡ 新築棟 95.59㎡
延べ面積: 復元棟333.97㎡ 新築棟 123.05m²
寄贈者: 三島食品工業株式会社

 デ・ラランデ邸は、 新宿区信濃町にあった西洋式住宅である。 1階部分は明治時代の気象学者・物理学者である北尾次郎が自邸として設計したと伝えられる木造平屋建て 瓦葺き 寄棟
屋根下見板張りの洋館であった。 1910年(明治43) ころ、 ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、 木造3階建ての住宅として大規模に増築された。 その際、 北尾次郎居住時の1階部分も大改造されている。スレート葺きのマンサード屋根と、下見板張りの外壁が特徴である。
 デ・ラランデは、 1903年(明治36) に来日し、横浜を拠点として日本での活動を開始。 のちに、この住所に拠点を移した。 デラランデは、この住宅で、妻と4女 1男の7人家族で生活していたが、 1914年(大正3) に41歳で亡くなった。
 その後、この住宅の居住者は何度か変わったが、1956年(昭和31) から、 乳酸菌飲料カルピスの発明者として知られる三島海雲氏が住んでいた。 海雲氏の死後は、 三島食品工業株式会
社の事務所として、 1999年 (平成11) まで使用されていた。
 デ・ラランデは、東京や横浜を中心に住宅やオフィスビル等多くの建築物を設計した。 現在、デ・ラランデ邸以外の現存作品として、 神戸市にある重要文化財トーマス家住宅 (風見鶏の館)がある。
 建物は、デ・ラランデによる大規模な増築が行われたころの姿に復元し、 室内は、 残された古写真を基にデ・ラランデが住んでいた大正時代初期ごろを想定して復元している。