この日記のエリアが今回の最北端になる。
こちらもかなり前に来たことがある場所などがあった。
◆樋口一葉桜木の宿跡
法真寺(樋口一葉ゆかりの桜木の宿)
樋口一葉(1872〜1896)の作品「ゆく雲」の中に、次の一文がある。
「上杉の隣家は何宗かの御梵刹さまにて、寺内広々と桃桜いろいろ植わたしたれば、此方の二階より見おろすに、雲は棚曳く天上界に似て、腰ごろもの観音さま 濡れ仏にておわします。御肩のあたり、膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて・・・」
文中の御梵刹がこの浄土宗法真寺で、この濡れ仏は、現在、本堂横に安置されている観音様である。こなたの二階とは、境内のすぐ東隣にあった一葉の家である。
樋口家は明治9年(1876)4月、この地に移り住み、明治14年(1881)までの5年間(一葉4歳〜9歳)住んだ。一葉家にとって最も豊かで安定していた時代であった。
一葉は明治29年(1896)11月23日、旧丸山福山町(現西方1-17-8)で短いが輝かしい生涯を閉じた。その直前の初夏、病床で書いた雑記の中で、この幼少期を過ごした家を「桜木の宿」と呼んで懐かしんだ。「桜木の宿」は法真寺に向って左手にあった。
上記の「樋口一葉桜木の宿跡」は、門右側にあった。
かなり細い路地を進んだ奥にあった。
google mapを見ても迷うほどだった。
「御府内備考」に次の記事がある。
本郷は古く湯島の一部(注・湯島郷の本郷)であるので、湯島本郷と称すべきを上を略して、本郷とだけ唱えたので、後世湯島と本郷とは別の地名となった。湯島のうちで中心の地という意味から本郷の地名が生まれた。
江戸時代に入って、町屋が開け、寛文のころ(1661〜73)には、1丁目から6丁目まで分れていた。
中山道(現・本郷通り)の西側に沿って、南から1〜6丁目と南北に細長い町城である。
本郷もかねやすまでは江戸の内
(古川柳)
◆わだつみのこえ記念館
10年くらい前に一度来たことがある。
mixiで日記にしている記憶があるので今度探してみる。
検索機能がないのが不便だなあ。
有料会員になると検索できるらしいが(汗
◆徳田秋声旧宅
こちらは文化財ウィークのときに一度お邪魔させていただいた。
ってもうすぐ3年経つのか・・・・。
2015/11/05
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20151105/1447702736
続く。
◆