ほぼ旧水戸街道沿いに西へ向かう。
旧水戸街道がどうなっているのか地図だとよくわからないね・・・。
◆水戸街道石橋供養道標
この道標は、水戸道と佐倉道の分岐点に地域の万人講・不動講・女中講が共同で架橋した27の石橋供養のために建てたものです。 建設は安永2年(1773) 10月から同6年11月にかけて行われました。石工は新宿町の中村佐右衛門で、造立時には道標の頭頂部に仏像が載せられていました。
水戸佐倉道は千住宿から分かれて葛西領に入り、宿場町新宿から佐倉道を分岐しました。この形で街道が整備されたのは天和元年(1681)以降で、元佐倉道が本来の街道筋でした。両街道が江戸川を渡る地点には、水戸道に金町松戸関所、佐倉道に小岩市川関所が置かれました。 佐倉道は、成田山新勝寺や千葉寺(千葉市)への参詣が盛んになると、成田道や千葉寺道とも呼ばれるようになりました。
◆浄心寺
昭和11年(1936)2月26日早朝、陸軍内部の皇道派青年将校は武力によるクーデターを図り、1400人余の部隊を出動させて国会・首相官邸一帯を占領し、陸軍上層部に国家改造の断行を要請しました。世にいう2・26事件の発生です。
墓背面の碑文によれば、当時警視庁巡査部長の職にあった清水與四郎氏は、総理大臣官邸警戒勤務中にこんも事件に遭い、機関銃などの乱射を受けて一命を落としました。
この事件の責をとり、岡田啓介内閣は3月に総辞職をしましたが、この霊に報いるため、岡田氏の手によって6月この墓碑が建立されたものです。
◆新宿日枝神社
神楽殿
◆新宿歩道橋
下は水戸街道。
石塔など
続く。