2024/09/08 中里介山の碑


『中里 介山(なかざと かいざん、男性、1885年(明治18年)4月4日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の小説家。本名:中里 弥之助。
甥に、ロシア・ソビエト文学者の中里迪弥(なかざとみちや)。 』
中里介山 - Wikipedia





中里市明治十八年(一八八五年)四月四日 羽村に生まれる
本名は彌之助 小学校高等科卒業電話交換手 教員を経て文華の道を歩む 明治三十九年 都新聞社に入社 『氷の花』『高野の芸人』などの新聞小説を発表
大正二年(一九三年)九月より「非新聞に“大菩薩峠」を連載
一躍大名上がる 以後発表の場を変えつつ 昭和十六年(一九四一年)まで書き継ぐ全巻十八冊 未完に終わるが世界最長の長篇小説である
この間高尾山梨 奥多摩の草庵と住居を移し、小野小町里谷夜話などを執筆昭和五年(一九三〇年)郷里羽村のこの地に居を家の西絳村塾 大菩薩峠記念館を開設
自給自足の生活に入り羽村子弟の教育にあたる昭和六年 中国を周遊 古四年 アメリカ合衆国を歴訪するこの時期「夢殿百姓晴之助の話」などを発表
晩年は執筆のかたわら農耕に従事する。昭和十九年(一九四四年)四月二日病淡 行年五十九歲
平成三年七月一日ときあたかも市制施行にあたり有も相違い人の偉業と偲び羽行前の未来にわたる文化振興を切に願いここにれと走てる






◆介山公園






中里介山 百姓弥之介由縁之地

上記の碑、すぐ近くにあった。






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