2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧
パネル展示がたくさんあった。 ◆万願荘付近の宮神輿 ◆八坂神社宮出し ◆日野駅西側を練り歩く八坂神社の宮神輿 ◆八坂神社宮出し ◆宮入間近の宮神輿 西から八坂神社へ帰る宮神輿です。 場所は八坂神社境内西あたりの甲州街道。 向かい側には洋品店、肉屋、文房…
『応永5年(1398年)に創建された。この年に普門寺が開山、普門寺の鎮守として「牛頭天王社」が創建されたのが当社の起源である。その後元亀元年(1570年)に現在地に移転した。 寛政12年(1800年)には精巧な彫刻を有する本殿が建造された。1869年(明治2年…
『日野本町の本陣跡には、本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物が建っている。日野市は史跡に指定しており、市は耐震補強などのための構造調査と改修を計画している。 その前の、現在は駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐藤彦五郎が…
建物は屋敷跡に建てられた旧日野銀行の建物。 『佐藤 彦五郎(さとう ひこごろう、文政10年9月25日(1827年11月14日) - 明治35年(1902年)9月17日)は、日本の村役人(名主)。下佐藤家当主で、日野宿組合名主。江戸幕府の京都警備組織である新選組の後援…
現地には「日野宿東口跡」についての説明版は見当たらなかった。 高木歯科跡脇の塀にパネル展示がいくつかあった。 ◆日野宿と甲州街道 慶長8年(1603) 江戸幕府が開府されると、 代官頭大久保長安によって甲州街道の整備が進められていましたが、慶長 10 年 (…
◆甲州街道日野宿問屋場・高札場跡碑 説明版 大阪窯業八王子工場製造のレンガ 昭和7 (1932) 年、 日野の甲州街道の歩道に敷設された大阪窯業八王子工場製造 (通称長沼のレンガ工場)のレンガ。(清野利明著 「煉瓦に見た“多摩の近代化”~鉄道建設と煉瓦工場~」 …
渡邉家の屋号は「中村屋」。旧甲州街道沿いにある味噌、醤油、酒を取り扱う万屋 (よろずや)の店蔵として使われていた。 当初は木造軸組2階建ての土蔵だったが、関東大震災の影響を受け土壁にひび割れが生じ、昭和5年に大谷石による張石蔵へ改修し、あわせて…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/11/160000 ◆歩道橋「追分いちょう橋」 歩道橋愛称「追分いちょう橋」 の由来 この歩道橋は、元々二つの歩道橋に分かれていたものを、歩行者や自転車がより安全に通れるようにするため、…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/11/153000 ◆日吉八王子神社 別のページで。 2023/10/11 日吉八王子神社 - ovanの社会科見学 ◆祠 google mapに載っていなかった。 何が祀られているのかわからなかった。 ご存じの方がい…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/11/150000 ◆西八王子駅 JR中央線西八王子駅。 こちらが南口。 きぬた歯科 あちこちに看板が立っているもしかしたら日本で一番有名な歯医者? 北口 ◆八王子デザインマンホール 喫煙マナー…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/11/143000 ◆有山彦吉(佐藤彦五郎四男)屋敷跡 別のページで。 2023/10/11 有山彦吉(佐藤彦五郎四男)屋敷跡 - ovanの社会科見学 ◆高幡山不動尊道石碑 高幡不動に至る道標だろうか? ご存じ…
◆日野駅 JR中央線日野駅。 こちらは東口。 西口 像 題名、作者名が分からなかった。 ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。 ぺこ ◆かねこはし 現地には説明版など見当たらなかった。 詳しいことがわからないのでご存じの方がいらっしゃいました…
千代田区ホームページ - デザインマンホールを設置しています ◆アトム ◆ウラン ◆お茶の水博士
◆千代田区デザインマンホール いくつかあったので別のページで。 2023/10/10 千代田区デザインマンホール - ovanの社会科見学 ◆御茶ノ水駅 JR中央線お茶の水駅。 ◆高円寺氷川神社
写真小平神明宮@東大和市 新宿歴史博物館@四谷三丁目 本多八幡神社@国分寺ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 10月2日(月)晴24時間勤務アケで・・・久米川・新小平散歩 01 久米川駅/久米川北口商店街/西武新宿線踏切/久米川橋/七福広場/栄町陸…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/08/213000 ◆谷中稲荷神社 今回写真はこれしかとらなかった。 以前来たことがあるのでそちらで補完。 2022/02/25の日記より ◆釜寺東遺跡・方南二丁目公園 以前来たことがある。 2019/03/1…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/08/203000 ◆商店街 商店街♪ 何という商店街なのか特定できなかった。 この辺りを調べると二けた以上の商店街が出てくる。 ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。 ぺこ パンダ!…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/08/203000 ◆和泉明店街 商店街♪ ◆和泉通り商店会 商店街♪ 中は通らなかった。 ◆泉南歩道橋 下は環七通り。 ◆遊び場80番 玉川上水跡。 ◆奥州屋跡 歴史がありそう。 調べたが判らなかった…
前に日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/05/200000_1 ◆久左衛門橋 ◆和泉村庚申塔 一度来たことがある。 2019/04/13 方南散歩 02 明大前駅/明大前歩道橋/明治大学泉キャンパス/塩硝蔵地跡/玉川上水公園/庚申塔 - ovanの社会科見…
24時間勤務アケで、杉並お散歩会に参加。 ◆下高井戸駅 京王線下高井戸駅。 東急世田谷線下高井戸駅 ◆下高井戸駅前市場 『下高井戸駅前市場(しもたかいどえきまえいちば)は、闇市から発展し1956年に正規の建物として営業を開始した市場である。 2024年3月で…
『祥應寺の前身は鎌倉時代、伝祥應寺跡(国分寺市西元町・黒鐘公園北方)に起こる。開山由緒は不明であるが跡地から板碑が発掘されており阿弥陀信仰の盛んな寺院であったようである。 江戸時代の地誌(武蔵名勝図会)によると、地元の住民が跡地から鉄の阿弥…
本多八幡神社由緒 当本多八幡神社は享保九年(1724)本多新田が開発されたとき此の里の鎮守として同十九年(1734)祥応寺の門道頂和尚を当時の黒人十六名によって山城国男山八幡神社(石清水八幡宮)を勧請。翌元文元年九月十五日創建させられたものと伝えられる。…
『創建年代は不明である。ただ鈴木稲荷神社とともに鈴木新田の鎮守とされてきたことから、江戸時代中期には既に存在していたものと推測される。 1873年(明治6年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられたが、1908年(明治41年)の神社合祀により、鈴木…
2015/11/05 に訪れたことがあるので、興味のある方は以前の日記へ。 2015/11/05 part2 ふれあい下水道館 - ovanの社会科見学 今回のお目当ては2015/11/05に無かったデザインマンホール。 屋外展示は、前回日記にしていなかったので記しておく。◆礫泥水加圧セ…
こちらのページでは「北町愛宕神社」となっている。 北町愛宕神社|国分寺市北町の神社 愛宕神社は徳川幕府が武蔵野に新田開発したとき旧榎戸新田(現材北町、並木町、富士本、新町、東戸倉、光町、西町の一部)の氏神様として享保十年八月(1726年)当地に…
◆鐘楼 ◆石塔 真ん中のがMAPに載っていた馬頭観音。 ◆地蔵 ◆水子地蔵 ◆六地蔵 ◆山門 場所はこちら
江戸時代の享保七年(1722)に始まった武蔵野の新田開発は、凶作などにより開発が進まず農民は窮乏し、餓死者が続出していました。 元文四年(1739) 武蔵野新田世話役となった押立(おしだて)村(現在の府中市)名主川崎平右衛門は救助の食糧、養料金(ようりょ…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/05/223000 ◆三小前歩道橋・踏切・東国分寺駅跡 踏切は西武多摩川線の線路。 道路は連雀通り。 三小前歩道橋 下は西武国分寺線。 この先に東国分寺駅跡がある。 東国分寺駅跡 『多摩湖線…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/05/220000 ◆上水本町こぶし公園 ◆ルネサスエレクトロニクス(株)武蔵事業所 『ルネサスエレクトロニクス株式会社(英: Renesas Electronics Corporation)は、東京都江東区に本社を置く…
前の日記からの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/05/213000 ◆玉川上水立坑 JR武蔵野線の設備らしい。 詳しい用途などはわからなかった。 ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。 ぺこ 参考 武蔵野線の立坑を巡ってみた「津田…