2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧
この日記のエリアが今回の最北端になる。 こちらもかなり前に来たことがある場所などがあった。 ◆樋口一葉桜木の宿跡 法真寺(樋口一葉ゆかりの桜木の宿) 樋口一葉(1872〜1896)の作品「ゆく雲」の中に、次の一文がある。 「上杉の隣家は何宗かの御梵刹さ…
まだまだ北に向かう。 4月12日に工事中だった「富士浅間大神」も見に行ってみる。 ◆本郷三丁目駅 ◆旧本富士町 見たことがあるなあと思っていたら、こちらも4/12に来ていた。 2018/04/12 http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180412/1523797072 ◆富士浅間大神 す…
先程のエリアから少し北のエリアを散策する。 丸の内線が高架から地下に潜っていく様子がわかった(w ◆旧東富坂 むかし、文京区役所があるあたりの低地をニヶ谷といい、この谷をはさんで、東西に二つの急な坂道があった 東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさ…
この日記のエリアは坂ばっかり。 まだまだ前半なのにかなり体力を消耗する。 ◆金比羅坂 現地に説明板などは無かった。 調べてみると前の日記の「金刀比羅宮」に因むと書いてあるページがあった。 ◆新壱岐坂 大正12年(1923)の関東大震災の復興計画によって、…
この日記のエリアはまだまだ水道橋駅の近く。 北東方向に向かって歩く。 ◆藤田東湖護母致命の処 幕末の勤皇家 藤田東湖(1806〜55)は、水戸の藩士で、藩主徳川斉昭(なりあき)の信任も、きわめてあつかった。 弘化元年(1844)藩政改革に尽力したが、逆に…
24時間勤務アケに水道橋から本郷の東大付近まで歩き、また水道橋に戻ってきた。 10年前くらいに歩いたところと、去年9月と今年4月12日に歩いたところがちょっとかぶる。 ◆水道橋駅 ◆旧三崎座跡 現地には説明板などなかった。 WEBで調べると明治24年(1891)…
やっと坂が無くなり、ほぼ平らなところを水道橋駅まで戻る。 ◆真砂児童遊園 ◆旧諸井恒平邸 文京ふるさと歴史館脇にあった古いお宅。 諸井恒平は埼玉県本庄市出身で「秩父セメント」を興した実業家。 渋沢栄一とは親類関係とのことだった。 建物の中が見られ…
どんどん南下する。 また坂が多いエリアに突入する。 ◆本郷菊富士ホテル跡 明治三十年岐阜県大垣出身の羽根田幸之助、菊江の両親が此の地に下宿菊富士楼を開業し大正三年五層楼を新築 菊富士ホテルと改名し営業を続けたが昭和二十年三月十日第二次大戦の戦災…
今度はやや西側を南下する。 ほんのちょっと歩いただけですぐに史跡があるのはすごいね! ◆啄木ゆかりの赤心館跡 石川啄木(1886~1912)は、「文学の志」やみがたく、明治41年5月、北海道の放浪の旅をおえて上京した。啄木22歳、3度目の上京であった。上京後…
隅田川を南下して浅草橋から帰ろうと思っていたが、まだ見てないところがあったので引き返す。 やや西側を北上したり南下したり(w 相変わらず後半になるとグダグダ。 ◆御蔵前公園 ◆蔵前水の館 予約なしでは入れないとのことで、今度予約して行ってみる。 ◆…
先程のエリアから隅田川沿いに南下。 歩くと汗ばむ陽気だったが、川沿いは涼しくて気持ちよかった。 ◆厩橋 ◆隅田川テラス 隅田川の脇の遊歩道がテラスになっている。 浮世絵などが紹介されている。 他の浮世絵などはアルバムに入っている。 http://f.hatena.…
浅草を目前にして今度は南下。 隅田川沿いに浅草橋の方に向かって歩く。 ◆黒船神社 ◆紙漉町跡 この付近は、江戸時代、紙漉町といい江戸における最初の紙漉きが行われた場所である。江戸時代を通じて盛んに製紙業が行われ、その産紙は浅草紙と呼ばれて土地の…
先程のエリアから北上。 だんだん浅草が近くなるが、このエリアより北には行かない。 ◆川柳発祥の石碑 宝暦7年(1757)8月25日、当地(旧浅草新堀端天台宗龍宝寺前)里正柄井八右衛門、無名庵川柳と号し、初めて万句合を開巻す。爾来文運旺んに、逐には文芸の名…
この日記のエリアは蔵前駅西側あたり。 急に史跡が少なくなり、巡るのは神社がほとんど。 なんでこんなに史跡が少ないんだろう? ◆銀杏岡八幡神社 此葉(このは)稲荷神社 境内社 子守唄と銀杏岡八幡神社 江戸時代に伝わった我が国の子守唄やわらべ歌を集成…
24時間勤務アケで、神田から浅草橋経由で浅草近くまで歩き、浅草橋までまた歩いて戻ってゴール。 坂などは無かったので歩きやすかった。 ◆神田駅 ◆大和町 江戸時代のはじめまで、この界隈は、武家屋敷が立ち並び、通称「元誓願時前(もとせいがんじまえ)」…
24時間勤務アケで「塩船観音寺」へ! 定例の見学会です。 あまり写真を撮らなかったなあ(w 河辺駅前の「餃子の満州」でお昼後、タクシーで現地へ! ツツジが本当にきれいだった! ツツジの背丈が人の背丈よりも大きいので、人が居ても写真にほとんど写らな…
24時間勤務アケで、河辺散歩。 河辺駅から北東にある吉野家住宅まで歩き、河辺駅に戻ってから東青梅迄歩く。 26日の下見を兼ねた散歩だった。 ◆河辺駅 スタートの河辺駅。 ◆野上歩道橋 ◆野上の追分跡 WEBで調べても何も出てこないなあ。 google mapでここに…
この日記のエリアはゴールの東青梅駅のかなり近くなのだが、 やはり急勾配のせいだ、かなり遠く感じる。 若い人ならいいが、お年寄りは大変だろうなあ・・・・。 ◆村社千箇瀬神社 書き方が違うだけで下の「千ケ瀬神社」と同じだと思われる。 ◆千ケ瀬神社 ◆諏…
河辺駅の南側を散策した後は東青梅駅に向かって散策する。 高低差が激しくかなり疲れる(汗 ◆河辺八雲神社 境内社 崖の上にある神社だった。 鳥居 ◆赤丸ポスト のどか〜。 ◆東円寺 ◆河辺春日神社 境内社 境内社 鳥居 ◆供養塔 ◆地蔵 カッパかな? 続く。
まだまだ東青梅駅に向かって散策する。 ちょっと雨が降ってきたが、傘をさすほどでもなかったので助かった。 ◆立川崖線 ものすごい崖・・・・。 下は多摩川。 ◆林川寺 ◆石神社 ◆千ヶ瀬第二浄水場 ◆千ヶ瀬町2丁目運動広場 足が辛いとかいうより、心肺への負担…
東京都の指定有形文化財とのこと。 ちょっと不便な場所にある。 慶長十六年(1611)、吉野織部之助(?-1639)は新田の開発に着手し、新町村が誕生しました。吉野家は、新町村の名主を代々勤めました。現存するこの住宅は、安政二年(1855)三月、下長淵村(…
旧吉野家住宅の後は、すぐ近くにある珍しい井戸と神社を巡る。 そしてまた河辺駅まで戻って今度は南側を散策する。 ◆大井戸公園 青梅新町の大井戸 大井戸は、人が水口付近まで近づくための擂り鉢形の施設と水をくみ上げる筒井戸からなる漏斗状の形をしていま…
24時間勤務アケで、久地散歩。 南武線久地駅から南武線宿河原まで歩き、そのあと労働安全衛生研究所まで行って、久地駅に戻ってきた。 地図で見ると大したことがない距離なんだけど、高低差があってなかなか思うようにいかなかった(汗 最初にスタートの久地…
一気に山を降り、ゴールの久地駅へ。 下るのは楽だね(w ◆赤松稲荷大明神(下作延稲荷塚古墳) たしかに古墳っぽいが、説明板などは全くなかった。 WEBで調べてみると、6世紀後半のものと推定されるとのこと。 ◆下網の地蔵菩薩像 ◆享保年の地蔵菩薩像 ◆久地…
この日記の地点はほぼ山の上。 その山と山の間を東名高速が走っていた。 史跡が多い。 ◆下原石仏群 ◆高根橋 ◆東高根森林公園 ◆東高根遺跡 上記の「東高根森林公園」内にある。 古代芝生広場には弥生時代後期(3世紀頃)から古墳時代後期(6世紀頃)にかけて…
今回の一番のお目当てはコチラ研究所の一般公開。 公開時間が13時30からと遅く、おわりも17時までだった。 最初に体組成を計ってもらう。 上半身が筋肉がなくて太っているらしい・・・・。 なんとかせねば。 パネル展示を一通り見た後講演へ! 「働く人の健…
この日記の所から急に勾配がきつくなる。 坂や階段が増えて、歩きづらくなる・・・・。 ◆長尾の天然氷 陽のあたらない山裾に溜め池をつくり、二ケ領用水を利用した天然氷がつくられていた。氷倉(こおりぐら)に入れて夏まで貯蔵し、東京方面に出荷したもの…
まだ二ケ領用水に沿って宿河原駅の方に向かって歩く。 ◆川崎市緑化センター 当地は、昭和11年に神奈川県農業試験場東部園芸指導地として設置されました。その後、昭和24年に川崎市に移管され、川崎市園芸技術普及農場として発足しました。さらに、昭和54年に…
二ケ領用水沿いに宿河原駅方面に歩く。 ちょっと行ったり来たりしちゃった・・・・。 ◆稲荷橋 ◆稲荷神社 境内社 なんだろう? ◆中宿地蔵尊 ◆徒然草百十五段石碑 宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼ…
一度多摩川に出る。 その後は南側を流れる二ケ領用水まで歩く。 ◆堰の渡し 堰と対岸の喜多見を結び、1907(明治40)年ごろ始まった。作場渡しのほか、近在の往来や東京への出荷、肥ひきに利用された。1935(昭和10)年に廃止。 ◆東名高速道路多摩川橋 ごついね・…